海外の名試合、名ボクサーを語り、日本に紹介してくれている人といえばジョー小泉さんが想い浮かぶが、この林壮一さんもまたかつての名選手を採り上げてくれている。 ・・しかもまったく別の視点から。カス・ダマトという極めて人間性の高い名トレーナーに育てられたホセ・トーレスとマイク・タイソンの話しは、人間の根っこの部分を指して話しをしているような奥深さがある。 育った環境と育てる人間との出会いから話しは始まり、貧困と社会のヒエラルキーを越えることができるか否か、というまさに命懸けのレースの話しであり、もはやボクシングというスポーツの話しではない。 林壮一さんの著書の多くが、社会の構図の中の底辺を見つめたり、不条理な運命のくじを引いた人間にフォーカスする。 それらは、時に読み手の気持ちに重くのしかかることがある。 しかし、全体の中の一部分に光が見えることがあり、読み手はこの一筋の光明に救われることになる。 この本の貴重な光の部分はジョージ・フォアマンの話しにほかならないと思う。 たえず空腹を抱えていたフォアマンは、自らの行状が犯罪と感じることがないほど、殺傷事件が日常の光景となっている荒んだ街の少年だった。 しかし、まさに下水管の下の水溜りを転げまわる生活の中から立ち直り、職業訓練校へ入隊し、ボクシングとの邂逅がある。 メキシコ五輪での金メダル、人種差別の中でのプロボクシング転向、世界チャンピオンへの道、モハメド・アリとの闘い・・。 常識的には、ここで話しが終わるが、フォアマンの場合はさらに奇跡的な出来事が起こり人生がさらに展開していく。 林壮一さんという作者は、光と影の「影」の部分にしっかりと見据える方で、正義感の強いジャーナリストにある気質を持ち合わせているように思える。 怪我でボクシングに打ち込めなかった学生時代の悔しさについての触れているが、それだけをバネにしているとも思えない。 きっと自らの探求心をかき立てる何かを見出して、それに向かっているのだと思う。 ボクシングを起点にしている方には大きな関心が湧く。 一部の富裕層と一般的教育も受けることができない多くの貧民層が存在するアメリカ。 大きな格差のあるピラミッド社会の問題は、まさに明日の日本を予言していると思える。 著者の林壮一さんはそうした状況のアメリカに身を置いているルポライターなので、彼のルポには切迫感を強く感じる。「ロスアンゼルス国際空港からハイウェイ105を7マイル弱、東に進みセントラル・アベニューで高速を降りると、WATTSの地名が書かれた小さな看板が出てくる・・」このセントラル・アベニューこそは全米でも屈指の危険な貧民街。「しょっちゅう殺人事件が起こり、黄色い肌の人間などは身ぐるみ剝されてに決まっている」街だそうだ。 1980年代後半に私が南カルフォルニアに住んでいた時、道に迷って高速を降りてこのWATTSに迷いこんだことがあった。私が乗っていたオンボロのビュイックがもしこの場でエンストでも起こしたらどうしようか、とハラハラしながら街を通った経験がある。WATTSのことはよく知らなかった私でも、その街の異様な雰囲気にすぐに気付かされるものがあるほどの恐怖を感じる街だったことを覚えている。 「ゲットー(貧民窟)で育つと教育が身に付かないだろう。手っ取り早くカネを稼ぐ方法として、いつの間にか犯罪に手を染めている。罪の意識が無いうちに、どんどん深みにはまっていくのさ・・」 筆者は、こんな街で生まれ育つ人種にもスポットを当てて、黒人のオバマ大統領がどれほど期待されているか、などをルポしている。 また、ボクシングが好きな私としては分かりやすい、元ジュニアフライ級の世界チャンピオンで、このクラス最強とうたわれたマイケル・カルバハルというメキシコからの移民3世の生きザマを例に出している。 世界で初めて軽量級にして1試合のファイトマネーが100万ドルを超えた伝説のボクサーであり、2006年に国際ボクシング殿堂入りを果たした人物である。 しかし、そのカルバハルでさえも酒の力を借りずに生きていけない現実が書かれている。 誰でも知っている「東洋医学」という言葉だけれど、その実態についてはほとんど知らないことに気づかされる。身近にある医学の常識を疑ってみる、ということに積極的な私には興味深く読むことができた。たとえばこの本にはユニークで面白い概念がたくさん紹介されている。「一般に西洋医学では、病気でなければ健康、健康でなければ病気というように、二律背反的に考える。 一方、東洋医学では健康の程度には高い状態から低い状態まであって、それが低下すると病気の状態に至るというように連続的な見方をする。」そして、この低い健康状態のことを未病という言葉で表すという。 さらに人間の身体の概念に「脳」という臓器がなく、五臓すなわち「心・肝・脾・肺・腎」と六腑「胆嚢・胃・小腸・大腸・膀胱・三焦」が要になっているそうだ。では、脳はどこにいってしまったのかというと「身脳一如」といって東洋医学では脳の機能は五臓に分配されていると考える。そして、心は「喜ぶ」、脾は「思う」、肺は「悲しむ」、腎は「恐れる」、肝は「怒る」など、臓腑はそれぞれの感情を生み出すという。 ボクシング仲間でもある脳神経外科医の酒谷先生の書かれた興味深い著書だが、難をいえば話題が広範囲に渡りすぎていて、おそらく書籍の構成ページ数の兼ね合いで短くまとめてしまった話しも多いのではないか、とも思えた。 ぜひ、さらなる続編を書いていただきたい。 「ヨシオ、君はこの試合に勝利することで、敗戦で失われた日本人の自信と気力を呼び戻すのだ」 カーンは白井義男に自らのすべてを注いで世界チャンピオンに育てた。世界タイトルマッチのチャンスを与えたハワイのプロモーター・日系二世サム一ノ瀬の日本に対する想い。また、晩年に重い認知症を患ったカーンに家族として献身的に尽くした白井義男夫妻の心。・・そして、ファイティング原田の登場。 同時代の怪物たちと、彼らに立ち向かうサムライたち、パスカル・ペレス、ポーン・キングピッチ、エデル・ジョフレ、矢尾板貞雄、関光徳、海老原博幸・・。日本の高度成長期のボクシングは、世界チャンピオンが8人しか存在できなかった時代。現在とは比較にならない希少価値があり、テレビの視聴率が50%を超えた時代だ。 この本はノンフクションといってもストーリーと成り得る時代の流れがあり、そのバックグランドに存在する人としての逸話が詳細に語られる構成に引き込まれる。全編どこをとっても面白く読めるので、どのかの部分だけが印象に残っているとは言えない。私にとってはすべてが面白い。 私がボクシングジムに通っていた1980年前後、TBSのボクシング番組の解説は郡司信夫さんと白井義男さんの名コンビで決まっていた。子どもだった私の頭に歴史的な記憶が残るのは、大阪で開催された万博(EXPO70)からであり、この本に描かれているようなボクシングシーンを見ていない。目にしていたのは、貫録のついた体をゆすって歩くかつての名選手やボクシングジムの会長たちだった。著者の百田尚樹さんは私より3歳年長の方なので、私の知りたかった時代をこの本で十分に語ってくれている。 前半は著者が体当たりで「チャーター・ハイスクール」の代理教員を受け持つ体験談が書かれている。 後半は教育の現場にやり残した想いの著者が「ユース・メンタリング」という制度でボランティアを実践した体験が書かれている。私は、この後半の「ユース・メンターリング」という制度の話しに大きな救いを感じた。 このような制度こそが社会の荒廃を防ぐ仕組みと成りえると言っていいと思うし、このような仕組みを考案し、それを百年前から実施してきたアメリカという国の英知を感じた。 日本で多くの情報が入手できるアメリカのことであっても、この「ユース・メンターリング」のように、まだまだ知らないことが多くあると痛感させられた。 税金を免除されるボランタリー法人が「Big Brother & Big Sister」と称して、親でも教師でもない第三者が、週に1回、何らかの問題を抱える子供と1対1の時間を共有する。 ボランティアが「歳の離れた1人の友人」として、子供と向き合うという。 すでに現在では、全米50州、そして35の国々で「ユース・メンターリング」は行われているそうだ。 親がドラッグに溺れ、家庭が崩壊し、放っておくと犯罪者になりかねない子供たちを Little Brother もしくは Little Sister と称してそっと接するのだ。 Big Brother や Big Sister としてボランティアする人は、「あなたがどんな人物なのか」を語ることのできる3人の身内以外の人の紹介が必要とされるなど、厳選される仕組みも確立されている。 そして、希望されて提携した学校の生徒と1対1で向き合うことになる。 また、ボランティアする人がそのために受けるインストラクターによるレクチャーが興味深い。 例えば、状況に応じて20種類の誉め方を使い分けろ、という指示があるそうだ。 ・素敵だね ・素晴らしい考えだ ・いい仕事をしたね ・素晴らしいよ ・キミは覚えるのが早いねぇ ・キミがその事を出来るって、こちらは分かっているよ ・トライし続ければ、必ずやり遂げられるさ ・まさに、その通りだね ・ずば抜けているね ・上手く進んでるじゃないか ・キミがどうやって、それをやったのか僕にも見せてくれるかな ・それこそが、進むべき道だね ・完璧だ ・最高だ ・どんどん良くなってるじゃないか ・僕はキミの言っている事がよく分かるよ ・キミの言葉、きちんと理解できたよ ・立派だ ・僕はキミを誇りに思うよ ・お見事 日本人は他者を誉めることが苦手だが、アメリカ人は己が認めた事柄や人間に対して賛美を惜しまない。同様に、徹底して誉めてやる気を引き出し、自信を与え、向上させていくという。 この本のオビには安部譲二さんが「ここまで闘うボクサーの内面を鋭く抉った本を俺は読んだことがない。」と書いているが、まさにその通りだと思う。 私も多くのボクシング関連の著述を読んでいるが、ボクサーを描いた多くの本とは似て非なるものを感じさせられた。昭和40年代の最も日本のボクシングが盛んだった時代の大スターであり、世界チャンピオンの小林弘さんの半生を描いたノンフィクション。 小林弘さんは今も武蔵境の小林ボクシングジムの会長としてご健在だ。 私は3~4年前に一度、後輩の誘いで小林ボクシングジムを訪れ、サンドバックを叩かせてもらったことがある。お会いした時の印象は、失礼ながら威圧感はなく「気さくで明るいオジさん」というイメージであり、緊張感をもって訪れた私としては少々拍子抜けした記憶さえ残っている。 団塊の世代より若い私の年代では、この偉大な世界チャンピオン小林弘さんはテレビでも見ていなかったため、私にとっては伝説的な方だ。この時代のボクサーが月に何試合もこなした話しを聞いたことがあったが、まさしく9年間で75戦を闘った歴戦のボクサーだ。その試合の中には、当時レベルの高かった日本の名選手の多くが含まれており、最後の花道は石のこぶしロベルト・デュランとの試合で締めくくられている。 中でも沼田義明さんとの世界タイトルマッチの様子は目に浮かぶように書かれている。その沼田義明さんと小林弘さんが、ボクシングに対する同種の卓越した技能を持ち、共に人間性に富んだ人物であり、同じように常軌を逸した会長の支配のもとに時代を生きてきた様が書かれている。多少ボクシングのことを知っている人間であれば、このあたりの記述には心を奪われると思う。 さらに著者の菅淳一氏の視線には興味深い点が多い。 例えば、石原慎太郎氏のボクシングに対する考え方に対して異を唱えるくだりは、この人のボクシング観をよく表している。 石原慎太郎氏は「ボクシングは様式ではなく意志だ。行為者としての勇気ある意志がすべてを決定する。我々がリングの上に求めるものは、技術でもなければ勝敗でもない、第一に、勇気がある雄々しい独りきりの人間の意志の見事さである」と書いていたことに対して、「ボクシングは様式である。その華麗な技術を見て、選手同士が駆け引きに興ずる妙味を堪能する様式美なのである。そこの楽しみは、表面ごとでは分からない。技術をつかみ取った選手の、陰の見えない努力に賞賛を送ることでもある。・・と著者の菅淳一氏は明確に言っている。 どちらの見識も正しいとか間違っているといったことではなく真摯で熱い。 この本のタイトル『1967クロスカウンター』は、小林弘さんが1967年メキシコで右クロスカウンターをマスターして喜びに心が満ちた時のことを形而している。 私が金子ジムに所属してサンドバックを叩いていた時代、1980年代のプロボクシングは国内外を問わず名選手が多くいて、迫力のある試合が多かった。タイトルに手が届かなかった選手であっても名選手といえるボクサーが多くいた。 協栄ジムの亀田昭雄もその一人だった。 当時の協栄ジムは、具志堅が9戦目でWBA世界ジュニアフライ級王者をもぎ取ったように、素質と若さのあるボクサーにすばやくタイトル戦の機会を与え、その勢いでチャンピオンになってからさらに強くする、という速効性のあるマッチメーク手法で臨んでいた。 そんな時代にあっても亀田昭雄は少し異質なイメージのある協栄ジムの名ボクサーだった。 天才とも呼ばれていた。 練習嫌いでくわえたばこでシャドーボクシングをしているイメージがあった。 その亀田昭雄が、WBA世界ジュニアウェルター級第1位となり、あの世界最強ボクサー・アーロンプライヤーと米オハイオ州シンシナティで世界タイトルマッチを戦ったのが1982年。 当時のアーロンプライヤーは野獣のように荒っぽく、とてつもなく強かった。 そのラフなボクシングスタイルからウェルター級王者のレナードも彼の挑戦を避けた。 アントニオ・セルバンテスという鉄壁の王者からタイトルをうばい、後にニカラグアの英雄アレクシス・アルゲリヨと2度戦い、完璧な勝利をおさめている。 アーロンプライヤーは誰にも止められない、という印象のあるボクサーだった。 アーロンプライヤーと亀田昭雄のタイトルマッチはテレビで見ていた。 アウェイでも臆した様子のない亀田昭雄が1Rからその野獣に真正面から挑み、お手本のようなきれいなワンツーをくらわした。 完璧に決まった左ストレートでアーロンプライヤーがもんどりうってリングにころがった。 まった信じられないものを見た気持だった。 しかし、その一発は野獣を完全に眠りから起こしてしまった。 立ちあがったアーロンプライヤーの反撃はすざましいものがあり、しばらくはしのいでいたが、亀田昭雄は6RでTKOされた。 負けはしたが、最強王者にも通用する、まさにキラリと光る最高レベルのパンチを見せた価値のある試合だった。 その王者アーロンプライヤーについても、この本は深く掘り下げて書いている。 イノシシのようなラフファイターと言われるアーロンプライヤーだが、アマチュアで220戦を戦っており、基本が徹底的に身についていてのラフファイトだから、攻撃もディフェンスにも幅がある。 テクニックがパワーに隠れていて、素人にはタフで勢いだけの選手とも見える。 そんな損な一面はボクシングスタイルだけでなく、人生そのものであることがこの本には書かれている。 それもそのはず、著者の林壮一さんという方は、この本以外にも 『マイノリティーの拳』やアメリカの下層教育現場について著述しているノンフィクションライターだ。 社会のヒエラルキーの下層のエネルギーとボクサーの人生を結び付けて語るのは、心の奥にとげ刺すことだが、的を得ているとも言える。 さらに、アレクシス・アルゲリヨの死についても、林壮一さんはどう見ているのか、もっと掘り下げて話しを聞いてみたいと思った。 ミステリー小説を軽く見ていた私は、この小説のエンターテイメントとしての質の高さに驚いた。作者は考えている。 読者の想像の上を行くために。 作者は工夫している。 読者の期待の上を行くために。 たとえば闘うピアニストの姿が描かれているこのくだりなど、想像もしていなかった迫力がある。 「指に障害があるからピアノを満足に弾けない? 好奇の目に晒されるから声を上げるのが嫌だ? やっぱりあたしは最低の卑怯者だ。そんなのは闘いを避けるための口実に過ぎない。」 「全ての闘いは詰まるところ自分との闘いだ。そして逃げることを覚えると余計に闘うのが怖くなる。情けなさに手先が冷えた。恥ずかしさに胸が灼けた。」 ・・この小説が、第8回「このミステリーがすごい!」 の大賞受賞作だ。 私はミステリーにも人間味を十分に表現した内容の濃さがあることを感じた。 そして、まもなく中学生になる自分の子どもにも読ませてみたくなった。 「空席が目立とうと満席であろうと君が心掛けなきゃならないのは、その音を誰に向かって飛ばすかだ。 審査員のお歴々は二、三列目に陣取っている。 君の指に注視し、奏でる音に神経を集中させている。 しかし君は彼らではなく、一番後ろの席に座る人に向けて弾くんだ。 いいかい、試験を受けに来たんじゃない。 君は、君のピアノを聴くために遠くから足を運んで、それでも最後列になってしまった人に自分の想いを伝えるため、ここに立つ - そういう風に思うんだ」 重松清の著書は少なからず読んできた。 それらには、人の心の奥に必ず潜んでいる人間としての「いじめ」の原石であったり。思春期の若者が不条理を乗り越える甘酸っぱい想いであったり。歳を重ねてもなお余りある情熱であったりと、ある程度の共通したテーマが存在していた。 そして、それらの小説の最後にはハッピーエンドでなくても、何かしらの「救い」があった。 ところが、この『疾走』にはその「救い」がない。主人公の少年シュウジがたどる運命を描いているが、ひとことで言ってしまえば「崩壊」の運命が書かれており、重たすぎる。 この類の小説で記憶にあるものは山田宗樹の『嫌われ松子の一生』だ。 この小説もまた川尻松子の階段を降りていくような数奇な生涯が描かれていて、負の感情移入ができてしまうので、自分の気持ちが弱い時期には読みたくない本だった。 「現代の黙示録」などの書評もあるが、壊れていく人間の姿を克明に描く著者の重松清さんは何を訴えたかったのだろうか、と考えさせられてしまう。 文中後半に「・・君はつながっていたい人間・・」という言葉が出てくるが、心のつながりなしには人間は生きていくことができない動物であると再認識することをテーマとした小説だ、と勝手に解釈した。 登場人物の一人である「神父」が、あたかも神さまのように「おまえは・・」と、全編を天から見ているかのように俯瞰的に語る文体が冷やかな距離感を感じさせるが、妙に記憶に残った。 最近の自分を支えてくれているモノの一つが、オザキボクシングジムでのトレーニングだ。 月に4回程度、週に1回しか行けないジムワークだが、仕事を終えた後の正味1時間ほどのこのトレーニングが私のフィジカルを鍛え直し、メンタル面にも好影響を与えてくれる。 ストレッチ、なわとびから始まり、シャドーボクシング、サンドバックとミット打ち2ラウンドをこなす頃には、肺と筋肉は激しく酸素を求め、Tシャツがどっぷりと重くなるほどの汗に濡れる。 練習が終わった時点では、身体の中に沈殿していた毒素が全部吐き出された感じがする。 身から一枚脱皮をすませたようで、呼吸が著しく軽くなる。 こんな感覚を味わえる方法を、私は他に知らない。 身体に自信が持てれば、心も軽くなるもの。何度も行く出張も元気にこなす活力が湧いて、自由時間には新しい店を開拓したくなる。 行ったのは、大阪なんば・千日前のビックカメラ裏にある自由軒。 一度行ってみたかった大阪らしい店だ! 店に入るとレジの前に湯婆あばのような人が鎮座していて、店員との大阪弁のやり取りが、東京者の私には新鮮に聞こえてくる。 本で読んだ通りに「インディアン!」と注文すると、この「名物カレー」が出てくる。 このカレーは名古屋の「ひつまぶし」のように、そのまま食べたり、タマゴをくずして混ぜ食べをしたり、特製ソースをかけて食べるなどの独特の食べ方があるそうだ。 また、この特製ソースというのがちょっとリーペリンを思い出させる酸味のきいたいい味を出している。 姿かたちと言い、まさにB級グルメの代表格。 文句なく楽しい! こんど自由軒に行く時は、名物カレーだけでなく一杯飲んで、勇気を出してとなりに座った大阪人に話しかけてみようと思う。 秋から冬に掛けてのこの時期は、各企業が来年4月からの一年間の予算編成を決め込む時であるため、私は密かに自分の中で、この時期を来期一年分の注文を取る勝負のタイミングと位置付けている。 ふだんはボーとしていても、このための営業努力は惜しまない。 11月後半から、茨城、千葉、大阪、徳島とフラフラになって駆けずりまわっている。その大阪、新幹線で行く新大阪駅にこのモジャカレーはある。 新大阪駅を新幹線から階下へ降りると、地下鉄のりばと飲食店やおみやげ屋が立ち並んでいる。 さらにエスカレーターで地下に降りたところにも飲食店だけが軒を並べている。 モジャカレーはその地下の一つのお店だ。 新大阪駅を使う立場の感覚からすると「地下」と言いたくなるが、実は新大阪駅に地下はなく、一階なのだそうだ。 バングラディシュ出身のビッラルさんが始めたという「モジャカレー」。 店はひじょうに小さく、おそらく3坪以下だと思う。 無理やり確保した6席ほどのカウンターで肩をすぼめてカレーを喰うのだ。奥の調理場にいるのがビッラルさんと思われ、カウンターで注文をとる愛想のいいお姉さん(オバサンと呼ぶ人もいると思う)の二人で営業している。 何度か店に行ったが、いつもビッラルさんと大阪弁で言い合い(言い争い?)をしているので、夫婦なのかな?とも思える。 頼んだエビフライカレーに、青ネギのトッピングを100円で追加すると、見た目にも豪華なB級グルメとなった! 青ネギは思いのほかカレーに相性がよく、ボリュームと共に十分に満足させてもらった。 スペインのスパークリングワイン「コヴィデス ゼニウス ブリュット」はくせがなく、瓶内2次発酵の本格派ワインだと私は思う。 スパークリングワインはカレーにも合うのではないか、と思い頼んだのが大正解!もう一つは、ジャン・リュック・テュヌヴァンという醸造家が南仏で作り上げた「カランドレ・レゼルヴ」という赤ワイン。 これも最高に美味しい。 カレーの強い芳香は他の食材の個性を包み込んでしまうため、一般的にカレーハウスはカレー以外のメニューを扱うことが困難とされている。 また、アルコールとカレーの相性も難しいものがある。 ところがこの「カレー&ワイン クミン」は、その常識の破り方を示してくれている。 30前後の若い店主と(意気が合っていることから)夫婦と思われる女性でまかなっている、カウンターのみ10席ほどの小さな店だったが、ワインのおつまみと言うには手の掛ったしっかりとした肉料理があり、またお客の応接まできちんとしていて気持がいい。 結局私はこの店で4種類のワインを飲んでへべれけになったが、上記のスペインのスパークリングワインと南仏の「カランドレ・レゼルヴ 2009」にめぐり会えて幸せ気分だった。 仕事で大阪の朝日新聞社ビルにあるお客様に訪問した帰り、ふとビルテナントの表示を見るとカレー専門店 『インデアンカレー』とあるのを発見。こんなところにもカレー専門店があるとは思っていなかったので、地下2階に下りると、なんとカレーライスをメインメニューに掲げる喫茶店もどきのお店がズラリとならんでいる。 その一番奥に『インデアンカレー』があった。 インディアンカレーが売れるのを横目に見て、カレーは売れるものと思い込み、我もとメニューに組み込んだのであろうか? もしそうであれば、推して知るべき結果があると思われるので、迷わずに『インデアンカレー』ののれんをくぐってカウンターに座った。 期待もせずに立ち寄った店のメニューは、インデアンカレーのほか、ハヤシライスやピクルス、コーラにビールなどを合せても6種類しかない。 迷わずにインデアンカレーを注文すると、たっぷりとピクルスが入った中皿が出され、追って出されたカレー。 一口食べてそのカレーの刺激的な辛さと旨さに「ただモノではない!」とカレー味覚神経が研ぎ澄まされる。 それもそのはず、後から調べるとこのインデアンカレーは、1947年の創業以来の個性的な辛さで、お客さまから「辛い辛い」と言われ続けていたとのこと。 先代がインドの先生を招いて、カレー作りを教わり、一口食べると、懐かしい甘さが舌の上に拡がり、ホッとした途端に辛さの玉が弾ける・・・ お客さまから「口ん中が火事や!」と言われながらもご愛顧いただいてきた、という老舗であった。 (知らずに失礼いたしました) このインデアンカレーはインパクトだけではなく、イメージを残していく「何か」を持っている。(だからこそ数店舗を有する繁盛店なのだが) おそらく次に私がこのビルに立ち寄った際には、またこの店に立ち寄ると思う。 ホンモノのインパクトとはそのようなものだと思う。 大阪に7店舗、芦屋に1店舗、東京の丸の内にも1店舗の計9店舗があるという。 (私は東京の店も知らなかった・・) そしてこの店のホームページで泣かせるフレーズがこれだ。 「各店で皆様にカレーをお出しする社員は、みな長い修行を経てからでないとご飯を盛り、カレーをかけることができません。 初めてお客さまにカレーをお出しする社員は例外なく緊張で手が震えると申します。 それほどに真剣に向き合って参りました私共のカレーを、ぜひ味わって頂きたいと存じます。」 仕事先からそう遠くない神田にある評判のカレー店『ルー・ド・メール』は、以前から一度行ってみたかった店だ。 野菜をじっくり炒めたミルポワを使い、北海道遠軽の花田養蜂園のハチミツ、自家製のりんごジャムを利かせ、欧風カレーの雄と称されている。 それもそのはず、京橋「ドン・ピエール」の総料理長である鈴木正幸シェフの個人店であるという。扇風機をサーキュレーター代わりに用いるなど、店内の様子は、決してぜいたくにお金をかけた観はない。 むしろ家族経営の中華料理店の雰囲気に近い。 しかし、温められたお皿、提供するタイミングへの気遣いなど、ランチタイムにもかかわらず、オーダーの取り方からカレーライスの提供に至るまで、全てのサービスが素晴らしくできたレストランの応接だった。 この辺りが(良い意味で)お里が顕われる点なのだろう。 1,600円の特選ビーフカレーに使われている大ぶりの肉はしっかりと煮込まれていて柔らかく、最高に美味しかった。 しかし個人的な好みを言わせてもらえば、欧風カレーの「甘み」はここまで必要なのか?と思えてしまう。 それでも深みのある味は、手の込んだ料理としての完成度の高さがあり、この真似ができるカレーはそうないだろうな、と脱帽させる旨みがあった。 WOWOWの15日間無料体験というサービスを使って、米アーリントンで行われたWBCスーパーウエルター級王座決定戦、マニー・パッキャオ(フィリピン)対 アントニオ・マルガリート(メキシコ)の試合を見た。5階級制覇をしているマニー・パッキャオ(フィリピン)がアントニオ・マルガリート(メキシコ)を3-0の判定で下して新王者となり、6階級制覇を達成した。 フライ級からスーパーウエルター級までを制してしまうのだから、(パウンドフォーパウンドと仮想で言わなくても)現在の実力ナンバーワン・ボクサーと言える。 もうバケモノのような強さだが、解説のジョー小泉さんが言っているように、足を使ったスピードとそのフットワークを支えるスタミナ、さらにはパンチの的確さが尋常ではない。 相手のガードのすき間を通すようにパンチをヒットさせる。 高地トレーニングを積んで試合に臨むらしいが、質の違うモノを見せられた気がした。 ノークリンチで戦うこのようなホンモノのボクシングの試合を民放で流せば、ボクシングの本質に気づく人が多く出ると思う。 また、フィリピンではすでに英雄であり、国会議員の肩書きも持っているという。 多くの人が懸念するように、フィリピンの腐敗した政治の世界に巻き込まれて、色あせてほしくない。(フィリピンの政治が腐敗しているということが世界的に周知であることにも呆れるが) オールドボクシングファンは、フィリピンの英雄は、元世界ジュニアライト級王者フラッシュ・エロルデをおいて他にいないが、そろそろ、このマニー・パッキャオも新たなフィリピンの英雄と呼んでもいいかもしれない、と言うのだそうだ。 いったいフラッシュ・エロルデとは、どんなにすごいボクシングをして観客を魅了したのだろうか? 観てみたい思いにかられる。 そのフラッシュ・エロルデに4戦4勝した日本の金子繁治のボクシングもまた観てみたい。 「田鶴のことは、お前にまかせる」 兄の朔之助が新蔵に言い放つ。 新蔵の陰で悲痛な泣き声を上げる妹の田鶴・・・。新蔵は奉公人だが、朔之助・田鶴兄妹と同じ屋敷で生れ、三人の子供は兄弟同様に育った。 幼い頃から気性の激しい田鶴は、兄の言うことを聞かずに川遊びの中洲に取り残され、命の危ういところを新蔵に助け出されるなど、周囲の者をはらはらさせる存在だった。 田鶴は新蔵を慕いながら大人になっていく。 新蔵も少しずつ大人の分別が加わってくると、自然に自分の身分を認識するようになる。 朔之助・田鶴兄妹に対しても歯がゆくなるほど態度も物言いも慎み深くなる。 気持ちは昔のままだったが、新蔵は二人と自分との間に越え難い身分の差があることを次第にわきまえ、その垣根を越えることはなくなる。 新蔵は田鶴への想い焦がれを意中に秘め、二人を支えながら生きていく。 そんな田鶴が嫁いだ士分の男を、兄の朔之助が斬らねばならぬ事態となる。 田鶴を想う新蔵は、追手となる朔之助の供を願い出る・・・。 「蝉しぐれ」など、藤沢周平作品をこよなく愛する社長から譲り受けた本 『海坂藩大全』 上下巻。 この「小川のほとり」も、海坂藩という架空の城下町で繰り広げられた話しにまとめたあげた短編の一つ。 誰しも抱くような心の奥の琴線に触れてくる。 描かれる生き様や癒される人間模様は、長編であるよりむしろ「短編」を集めた方が胸に響くと思えてしまう。 これも藤沢周平ならではの筆力だろうか。 フクイカレーの新商品「マトンとポークのカレー」はパンと合わせても美味しい。旨味を引き出すため、オレンジジュースやチリソースが隠し味として使われているという「マトンとポークのカレー」は、少し辛口にまとめられていて、今とても好評な一品とのこと。 チキンベースの落ち着いた味の「フクイカレー2010」が好きだが、刺激的な辛さが味わえるこの「マトンとポークのカレー」もいい。 東京国立の手作りソーセージ「ノイ・フランク」の『アグー豚ウインナー』、『バイスヴェルスト』が手に入ったので、ゆでたウインナーに「フクイのラー油」をたっぷりとつけて喰らいついた。辛みを抑えた食べるラー油として旨い! 「フクイのカレー」とは愛知県豊橋のカレーシェフ・福井英史氏が作る至極のカレー。現在、電話(0532-61-4269)による通販でしか入手することができません。 (紹介されているサイト) 写真は『分とく山』の総料理長・野崎洋光さん(右)とフクイカレーの福井英史 氏(左) フクイのカレー2010 450g入り 880円マトンとポークのカレー 400g入り 894円 ハヤシソース 400g入り 758円 カレーうどん 300g入り 536円 フクイのラー油 100g入り 536円 おまかせ (お電話にて直接お問い合わせ下さい) 街になじむ!飲食店が栄えるには、「店が街にとけ込んでいる」 という要素が、重要なポイントなんだと思う。 北の玄関口、上野駅前にあるカレー専門店 『クラウンエース』。 上野駅から常磐線で茨城県の石岡まで出張するため、上野駅周辺のカレー店をインターネットで調べると、やたらとこの店の名前が挙がってきた。 店は20席ほどの円形カウンターとなっていて、券売機で食券を買って座れば、まもなくカレーライスが盛られて出てくる。 驚くのはその値段の安いことで、多くのカレーは400円ほど。 私の注文したカツカレーは高めで500円だ。 昼どきのためか、常に満席に近い状態で、10分程度で食べ終わった客が無表情に席を立ち、循環していく。 ハムカツを思わせる薄いカツは、油のにおいが強すぎて、私にはめずらしく三分の一ほど残してしまったが、この店の人気メニューであることは間違いない。 この土地、この街に馴染んだ店、クラウンエース。 私は馴染めなかったが、上野の駅前に馴染んだこの店が正しくて、私がついていけなかった気がした。 今年の6月に開店したというカレーのアキンボは錦糸町、替育会病院のすぐ近くにある。昼どきを外して2時ごろに行ったせいか、客がいなかったのでカウンター席の真ん中を陣取り、マスターと話しをしながらカレーを食べることができた。 10坪ほどの店は一人でまかなうにはちょっと広すぎると若きマスターは言う。 愛らしい女の子のイラスト入りの看板、南方系をイメージさせる店内装飾はセンスの良さが十分に表されている。 http://akimbo-curry.com/ ランチセットにしてくれたチキンカレーは、皿をお湯で温めてから、スパイスで味付けされたゴハンにカレーを丁寧に盛り付けてくれた。 まず、このスパイスと塩で味付けされたゴハンそのものに絶妙な旨さがある! そしてバランスのいい香りと味のチキンカレーが文句なく美味しい! 荻窪「すぱいす」のカレーの味が好みだと言うマスターだが、このカレーの味は十分に肩を並べる美味しさだと思う。さらに驚きは、自家製の濃厚プリン! こんな濃厚でセンスのいい味をもつプリンは初めて食べた。 このプリンを目当てに来店するお客さまもいる、というのがうなずける。 学生の頃、初めてピータンというモノを食べて、その不思議な旨さにびっくりし、これはタマゴを土状のものに包んで醗酵させたものだ、と聞いてまたびっくりした覚えがある。 その店が渋谷・道玄坂の老舗『麗郷』だった。妖しい風俗店が居並ぶ渋谷・道玄坂の抜け道にあった『麗郷』。 渋谷生まれの私には、良くも悪くも想い出が多い街だ。 『麗郷』はいつも混んでいたので、店に入った際には隣の客と肩をぶつけるようにして、せわしなく食べて飲んでいた記憶が残っている。 当時にして珍しかった「大根餅」や「豚のミミ」などを紹興酒と共に食べた。 その麗しい(?)思い出の店『麗郷』の姉妹店が、代々木から渋谷NHK方面に抜ける通りに、富ヶ谷店としてオープンしていたとは知らなかった。。 これもまた、参宮橋のオザキボクシングジムからの帰り道に、代々木公園ヘルスケア鍼灸院の飯田氏と共に訪れた。 『麗郷』定番の豚耳、腸詰めから、水餃子、焼そば、チャーハンといったオーソドックスな注文をして男2人で食らいついたが、道玄坂店の味をしっかり踏襲していてとても旨かった。2人で飲んで食べて6千円ほど。 この味でこの値段であれば、どこで店を開いても十分にお客が着くのだろう。 9時半に入店した時にはほぼ満席だった。 アヒルストアで飲んだワインを求めて、自然派ワインをプロデュースするBMO株式会社のアンテナショップ 『トロワザムール』に行った。代官山にあるこのアンテナショップで、私が買い求めたのは、ドメーヌ・ド・ベルビュ(フランス ラングドック地方)のカベルネ・ソーヴィニヨン(赤)が2本、グロロペティアンが1本。 このカベルネは、ブドウ造りに手間をかけ、さらに高級ワインと同じく丁寧に澱(オリ)を取って行く行程を惜しまずに作られ、そこから味わえるコクがあるとのこと。 その他にも、コストパフォーマンスの良いワインばかりが揃っているように思えた。 素材の味を大切にしているレストランなどに出会うと、その店の料理人は、シェフや板前というだけでなく、生産者のプロデューサーの役目をはたしていると感じることがある。 食材をプロデュースするという意味では、この『トロワザムール』(BMO)は、自然派ワインのプロデューサーとしての役割を十分に果たし、単なる輸入業者とは一線を画していると思う。 『トロワザムール』のHP (http://3amours.com/) にある「スタッフ渾身の一本」という推奨ワインのコーナーが面白い。 かわいい女性スタッフが顔写真入りで、自ら選んだ推奨ワインを丁寧に説明している。 フリーライター井川直子さんの書いた本 「僕たち、こうして店をつくりました」 に紹介されている9つの店の1つが、この『アヒルストア』。自称「アヒル顔」?の兄妹で経営する店だが、元来、兄の齊藤輝彦さんは千葉大工学部建築学科を出ている店舗デザイナーであり、とても「アヒル顔」などと言えない美しい妹の和歌子さんは、パン職人だとこの本で知った。 そして、この店に行ってみたいと最も思わせてくれたのが、お兄さんのワインの話し。 兄の輝彦さんは、自分の店を開業するために、一年間恵比寿の自然派ワインショップ「トロワザムール」で修業をする。 自然派ワインとは、健康的な土壌の畑で、除草剤、殺虫剤、化学肥料等を使わずにブドウを育て、極力自然な力を利用して作られたワインのことで、渋みはないし、たくさん飲んでも二日酔いしないという。 この店での修業中に兄の輝彦さんは、「オリヴィエ・クザンという生産者の赤ワイン『グロロペティアン』を飲み、頭で考える前に、感覚でこんなに気持ちのいいワインがあるのかと、思わず泣けてしまった」と語っている。 この日、小田急線参宮橋の「オザキボクシングジム」でサンドバックを叩き、汗を流す。 金子ジムの元日本Sフライ級チャンピおオンの木谷がマネージャーを務めるボクシングジムだ。 久しぶりのミットを2ラウンド打ち続け、スタミナ不足の私はへろへろになって練習を終える。 練習後、やはり金子ジムOBの田口さんと、OBで代々木公園ヘルスケア鍼灸院院長の飯田氏と共に、代々木八幡にある『アヒルストア』へ行く。 カウンター8席と、樽をテーブル代わりにしているスタンディングスペースはすでに満員状態。 妹の和歌子さんに無理を言って席を作ってもらい、そこで3人分のアラカルトをみつくろってワインと共にオーダーした。 兄の輝彦さんに「どんなワインがいいかを感覚的に言ってくれれば、近いワインをお持ちします」と言われ、私は、普段飲む好みのワインがスペイン産ワインであること、この店はこだわりの自然派ワインを出してくれると聞いているので楽しみにして来た、とのことを話すと、まもなく3本のワインを持ってきてくれた。 そのうちの1本(銘柄はすでに忘れたが)を選んで飲んだ。 このフランスワインの特徴はワインの液体がトロッとした流動性を感じることで、味にも特徴があった。 結局3人で2本のワインを開けたが、一緒に飲んだ田口さんはこのトロッとするワインの方が旨かった、と称賛した。 つまみにしたのは、写真にある(ちょっと風変わりな)ソーセージやパテをつけて食べたパンなど。 どれもちょっと変わっていて美味しかった。 素材を大切した自然派の味は、食後感が良く飽きがこない。 また来てみたいと思わせてくれる。 新宿「ベルク」の店長、井野朋也に続いて副店長の迫川尚子が描く「ベルク」の世界観がこの本。 また、本の中で語られている創意工夫と仲間意識で作り上げた継続と努力の店が、新宿駅東口へ行けば見ることができ、実感できることが最高に面白い。私は店に何度か訪れているが、本に描かれているように、店員はホットドックはマスタードもつけずにそのまま食べてくれと、素材を味わえと言わんばかりにプレーンな食べ方を勧めてくる。 また、先日オーダーした「大麦と牛肉の野菜スープ」は変わった味で、あのスパイスは必ずしもみんなに好まれる風味ではないと思えたが、飲み終えた後の感触が実にいい。 自然本来の味と本物の材料を味わう人、個性的な味を求める人を惹きつけるものを持っている気がした。 また、この本では、身近にいる天才!と称して、コーヒー職人、ソーセージ職人、パン職人 との個性豊かな人物との対談も載せている。 各人がそれぞれの道で自分の舌と味に妥協を許してこなかった姿が垣間見れる。 そして「お店は表現だ!」という章では、著者の「味」に対する思い入れの強さが表れている。 いま、食に大きな興味を抱いている私には大きな愉しみと勇気を与えてくれる本だった。 新宿駅東口の地下にある、15坪のベルクという個人経営のファーストフード店をコンサルする押野見喜八郎さんいわく、店舗数3,746店のマクドナルド、4,141店のすかいらーくグループなどは、外食産業において多大な功績を残すと共に、ロボットのようなマニュアル型接客と徹底した調理の効率化による簡便料理を蔓延させた。一方で、このベルクはその対極をいくかのように、個人店として、血の通った、生身の人間同士の触れ合いのある接客サービスと、きちんと手作りされた心のこもった料理で勝負している、と評している。 そして私が驚くのは、店の経営に関する指標を惜しみなくしっかりと書いてくれていることだ。 例えば、材料のコストは、ソフトドリンク、フード、アルコール、おつまみ、物販 の5種類に分けて売上構成比とコスト比率を挙げている。 1日の売上げは55万円を超え、平均来客数は1,500人、材料コスト42.5%、家賃は7.5%、水道光熱費4.5%、消耗品費3.2% など、数字がきれいに公開されている。 逆算すれば、坪単価が8万円を超えることも分かる。 また、店の経営者として、駅ビルオーナーから契約をめぐって立ち退きを迫られる問題を抱えていることにも堂々と触れている。 権力と資本だけでいいものが作れるわけではない、人の満足はもっと地道な努力から生まれるものだ、と主張して譲らない。 この本は、明らかに著者が後に続く個人経営をめざす人たちのことを考えた思いやりに満ちた、熱い一冊だと思う。 個がもっと尊重され、個性のある個人経営店の時代がやってくることを希望し、後進のために次の「4つ武器」を提言して締めくくっている。 1.未経験であること。 2.同志。 3.助言者。 4.多額の借金。 自然卵を使っているというゆでタマゴもくせがなくて美味しい。 最もこだわっているというコーヒーもおいしかった。 味や香りが濃いわけではなく、分子が細かくて染みとおるような印象で、飲み終えた後の感覚がすっきりしていていい!ハムの盛り合わせ(マイスターミックス)は、どれも美味しかった。 添加物などを使わずに自然の素材にこだわった食材をいただくと、いつも思うことは、味に驚くべきインパクトがあるわけではない、ということ。 つい商業主義に毒されている私は、テレビでタレントが 「なにこれ~、うま~い!」 と目からうろこが落ちるようなそぶりで語られる ”生まれてはじめて食べたうまいもの” という未知との遭遇を期待してしまうことがある。 しかし、惜しみなく手間が掛けられた自然派食品のおいしさとは、むしろ口にした時のインパクトは大きくない。 すんなりと口になじむ、という感覚だ。 そして食後感が非常にいい。 腹にもたれるなどということはあり得ない。 口に残るすっきりとしたうまみ感が、「できればまた食べたい」と思わせる。 私の持っている自然派食品の感触とは、そのようなものだ。 人があふれ、雑然としたL字の店内。 どうしていいのか分からないでいる私に、カウンター越しの店員が「お決まりでしたらこちらからどうぞ」と招く。もし、オーダーできてもどこで食べればいいのか、と席取りの心配が頭をよぎるが、今日はこの「ベルグ」で出されるコーヒーとハムの『味』を体感しにきたのだからと覚悟を決めてオーダーする。 ブレンドコーヒー(¥210)とマイスターミックス(¥480)、それとカウンターにあったゆでタマゴも一つ加えてもらった。 トレーを持って振り返るとたまたま(きたないオヤジの隣に)やっと座れるスペースを見つける。 確保した狭いシート席でコーヒーとハム・ゆでタマゴを味わうことに集中していると、「この席いいですか?」と席をさがして男女3人が目の前に立っている。 私がカバンを置いていた席を指していることに気づく。 自分のトレーを置くのがやっとの小さなデーブルだったため、目の前のイスには当然だれも座らないと思っていた場所だった。 「どうぞ」とうながすと女性が私に背を向けて座り、すぐに3人で話し始める。 狭い店内では、こんな相席もあるのか、と思い、カバンをどけて足元に移すと、こんどはとなりに座っていた若い新人OL風の女の子が、そのカバンはつめれば置けるので、自分の横に置くといい、と言ってスペースを作りだした。 なんともおせっかいでありがたい。 一人でグラスビールを飲んでいたかわいい女の子だったので、素直に受け入れて、私とその子の間に置かせてもらった。 思わずこれを機に話しかけてみようかと思ったが、若い子に言いよるスケベなオヤジの光景が頭をよぎり、おとなしく食べることに戻ったが、店の密度は万事、同胞意識を持たせるのに十分だった。 「密度の濃さがものごとの熟成を促す」というのは真理だと思わせる ”大阪ナニワ風” の親近感が湧く空間がベルクにはある。 興味はあっても、こんな長蛇の列の一番うしろに並んでまでメンチカツを買い求めたくない、といつも自分を諫めてきたが、今日は土曜日の午前10時30分ということもあってか、5人ほどの行列しかない。 こんなことは見たことがない状況だったので、思わず並んでメンチカツを買った。聞いていた通り、手作り感が伝わってくるいびつな丸型メンチカツはどことなく愛嬌がある。 一個180円だが、五個以上買うと140円。(私は五個買ったので700円だった。) 入れてもらった袋を持ってそのまま井の頭線に乗ると、ほくほくの温かい匂いが周辺にも拡がるのではないかと思うほど。 しかし、脂っこい匂いではなく、香ばしさが漂うといった期待が膨らむ匂いだ。 1日3,000個以上売り上げるというメンチカツだが、元来この「サトウ」という肉屋は松阪牛専門店として名高いお店とのこと。 (いつか松阪牛のステーキもここで買って家で食べてみたい。) また、2007年には中国人不法就労事件があった。 これは、店主が日本人・中国人という隔てなく、まじめでよく働く人を採用していたところ、その中に就労ビザが切れていた中国人が居た。 店主は日本人よりよく働いてくれるその中国人に時給1000円をきちんと出していたことが判り、ルールには抵触してしまったが、人間として公平な目を持っていた、ということで名を馳せた。 「国産黒毛和牛のうまみがギュッと詰まったメンチカツ」というキャッチフレーズ通り、肉が詰まっているにもかかわらず、あっさりとした美味しささえ感じる。 もちろん胸やけするような重い感覚は残らないので、ついつい数を食べてしまう。 「これで冷たいビールでもあったら止まらないな」と思っていると、母がエビスビールを持ってきてくれる。 今日は、敬老の日のつもりで実家に寄ったのに、「これでいいのか?」と昼からビールでメンチカツを食べる自分自身に疑念がよぎった。 ![]() 仕事で宇都宮を訪れた際、宇都宮駅東口にポツンとある「宇都宮みんみん」の店を見つけたので、味見をしてみようと店に入る。 急ごしらえの様子のある少し変わったレイアウトの店作り。 さらにその料金の安さに驚かされる。 焼き餃子、揚餃子、水餃子、共に6個入りで各240円、ごはんの100円と合わせて定食にしても340円(餃子をダブルにしても580円)。 メインの餃子は1つ40円の計算だ。 約30席ほど収容できる店ではよほど回転が良くなければ採算がとれないはず。 しかし、店の出入り口にお持ち帰り用「お土産」売り場が大きなスペースで設けられているのを見つけて、その商売のカラクリが分かる。 なるほど「宇都宮みんみん」ほどのブランド力ができてしまえば、テレビ番組で美味しい餃子として紹介され、インターネットや通販で購入することができる。 本拠地の宇都宮に来てくれたお客様には、その味を試してもらう場としての店が用意されているのだ。 来店してくれたお客様で利益を出そうとしているわけではなく、店はあくまで味見の場。 「安くて美味しい餃子」という印象をすり込み、ファンを作る場だ。 見込んでいるのは「お土産」であり、ファンからの通販での注文! なるほどよく考えられている。 味はもちろん美味しいと思う。 最近のトレンド通りでニンニクを使用していない。 餃子にとっては最高の食材であるニンニクだが、においを避けて万人受けをねらう。 そのニンニクの代りに、パンチを出すための工夫をしたと思われるが、コショウなどの香辛料を多種類アレンジしているらしく、多めに食べるとやたらとのどが渇く印象があった。 今、東京‐宇都宮間は新幹線を使えば1時間。 その日、たっぷりと店で餃子を食べて、冷凍のお土産(6人前)を持ち帰った私を待ち受けていたのは、嫁さんと子供たちが作ってくれた自家製餃子のテンコ盛りだった。 日本語への翻訳を担当されたヘレンハルメ美穂さんがすばらしい「訳者あとがき」を書いている。 「 本書には、クルド人難民イドリス・ギティが登場する。 病院で清掃の仕事をしているという設定は、典型的な”移民労働者”のイメージだが、ラーソンはイドリス・ギティの来歴を詳しく語り、彼をひとりの個人として浮かび上がらせることによって、そんな紋切り型のイメージを打破してみせた。 人間はひとりひとりが異なる個人であり、それぞれに固有の歴史がある。 それを”移民””女”と十把一からげにまとめてしまうことこそ、差別のはじまりだと言えるだろう。 『ミレニアム』三部作の登場人物たちが、どんな脇役であっても詳細な設定を与えられ丁寧に描かれているのは、『ミレニアム』の世界のリアリティを築くためであるのはもちろんのこと、固定観念やステレオタイプに基づく差別と戦おうとしたジャーナリスト、ラーソンの気概の表れであるのかもしれない。 」 著者のスティーグ・ラーソンという人はすでに他界してしまったと聞く。 スウェーデンの国民的ベストセラーとなり、映画のヒットも含めた、その莫大な遺産をめぐって親族の争いが続いているとも聞く。 こんなすごい作品を書いてしまったら天命を使い果たして死んでしまうのだろうな、と思えるほど面白かった。 過激でいて知的。 人間の心に巣食う魔性と、それに立ち向かう反骨精神。 陰湿な醜さと執念、必ずしも素直でない生き様と人の心・・。 理屈抜きで惹きつけられる作品だった。 これがミステリーの秀作というものなのかと(ミステリー作品に疎かった私は)衝撃を受けた。登場人物がやたらと多く、そのスエーデン人の名前の長いこと。 ミカエル・ブルムクヴィスト、ハンス=エリック・ベンネルストレム、ニルス・エリック・ビュルマン、・・など、到底覚えきれないが、それでもそんなハードルは問題にならないほどに面白さが先行して、少しでも先を読みたくなる。 仕事仲間から本を借りて何気なく読み始めてハマりきった。 私の読んだ「ドラゴン・タトゥーの女」は、シリーズ3部作の一作目の上下巻だそうで、さらに2部作(4冊)があるそうだ。 (眠れなくなりそうだ!) 以前にダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」や「パズル・パレス」などの作品は読んだが、北欧スウェーデンを舞台にしたこの話しは、さらに上を行く面白さだと思う。
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プロフィール
住み家: 東京都国分寺市 生まれ: 1959年 しし座 大切にしている言葉: 「吾、唯足るを知る」 探しているモノ: おいしいカレーライス 求めているモノ: ホンモノ、魂のある言葉 以前の記事
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