吉井 妙子 『サバイバー』

e0028123_2136451.jpg 斎藤真由美という元バレーボール日本代表選手がいた。

全日本デビュー当時は、可愛い容姿からアイドル扱いされたが、外見とは異なりこの人の根性は筋金入りだ。 中村高校に進学し1年生でレギュラーとなって活躍したが「まだ若いから」という理由で国体の東京選抜のメンバーから外された事に抗議し、高校を中退してイトーヨーカドーにさっさと行ってしまう。 日本リーグではエースアタッカーとして活躍し、さまざまな賞を総なめにする。 怪我も多かったが、交通事故の悲運に遭ったときには、もはやこれまでかと思ったが、なんと4年のブランクを経て復帰した。 その頃のドキュメンタリーをテレビで見て驚いた記憶が私には残っている。 その斎藤真由美を支えてきたのが、この本の主人公名将「アリー・セリンジャー」であったことは初めて知った。

日本のスポーツ運営組織のあり方には、バレーボール界に限らず、どのスポーツでも封建的な問題があるが、その中でもバレーボール界は特に問題が多いように思える。 社会的に大きく報道された大林素子と吉原知子の日立解雇などは如実な例だが、その他にも選手の自主性を阻害するVリーグの規定や不文律が多く存在するらしい。

堀江陽子は、高校卒業後、複数の強豪実業団チームの申し入れを断り、早稲田大学に進学してバレーボールを続けた。 実力は日本代表レベルであったが、日本バレーボール協会は実業団に属さないという理由だけで彼女を日本代表に選ばなかった。 それでもオリンピックをあきらめなかった堀江は、単身渡米、米国籍を取得して、アメリカナショナルチームのトライアウトを受験し合格。 ヨーコ・ゼッターランドとして1992年のバルセロナオリンピックに出場した。 そして米国チームのセッターとして銅メダルに輝くことになる。 米国チームのセッターは他にもいたが、日本戦でヨーコを起用して撃破するあたりは、ドラマチックであり、米国チームの力強さのようなものを感じて鳥肌がたった。 このヨーコ・ゼッターランドも日本のバレーボール界の封建的な部分と闘ってきた人だ。

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ポーランド系ユダヤ人の監督アリー・セリンジャーが、ダイエーの創始者・中内功の招きで来日し、ダイエーなどの監督として闘っていたこと。 山内美加、佐々木みき、吉原知子、栗原恵などを育て、つい最近まで日本女子バレーボール界に大きな足跡を残したこと。 そして、サバイバー(ナチスドイツのホロコースト政策の生き残り)であったことなど、峻烈な内容だらけだった。 特に前半のホロコーストに関する記述は、「一人の死は悲劇だが、数百万人の死は統計でしかない」という言葉に代表されるように、凄惨すぎて正直辟易した。
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by Hhisamoto | 2009-05-30 21:36 | ■えせ文化人(本、映画・・)
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