ジョージ・オーウェル 『一九八四年』

e0028123_043782.jpg2巻合計の発行部数が223万部という大ベストセラー「1Q84」の影響で、村上春樹が出典としたジョージ・オーウェルの 『一九八四年』が、わざわざ新訳本でハヤカワ文庫から出版された。 大手書店では、村上春樹のコーナーに並べて置かれているので読んでみたが、その容赦のない過激さに驚いた。

現代の村上春樹が描いた1984年は近過去だが、著者のジョージ・オーウェルは1903年~1950年の人だから、近未来を描いたことになる。 その近未来では、ビッグ・ブラザーが支配する全体主義体制の国家であり、国民のすべてが「テレスクリーン」という監視カメラ付きのモニターで見張られた社会で生活している。

人々は国家体制に隷従することを常として、子どもには学校教育で洗脳教育を施され、不穏な親の動きを見張り、反体制的な態度が少しでも見られる親を国家に通報することを美徳と教え込まれている。 国家が考え方を強制するだけにとどまらず、心から隷従させ、わずかな隙も見逃さない恐ろしい社会が築かれている。

主人公のウィンストンは恋人ジュリアと、地下組織の存在を信じ、また少数派であっても正常な人間は自分であることを信じて行動を起こすが、思考犯罪者として捕らわれの身となる。 拷問は精神的にそして肉体的にと過激を極める。 そして、死の選択をも許さずに社会に還元する徹底ぶりが描かれている。

近代の欧米映画に出てくる拷問シーンなども、このジョージ・オーウェルの描いた情景が影響を与えているのではないかと思えてしまう。 キアヌ・リーブスが演じた「マトリックス」という映画では、心象シーンこそが現世界にほかならない、という世界観があり、これはフランスの思想家ジャン・ボードリヤールの影響を受けて書かれた原作ということになっているそうだが、これにも近いものがある。

村上春樹の「1Q84」には、救われる思いがする部分が残されているが、このジョージ・オーウェルの 『一九八四年』には、救いが残されていない。
[PR]
by Hhisamoto | 2009-12-04 22:41 | ■えせ文化人(本、映画・・)
<< プロボクサー「木村隼人」 映画 「グラン・トリノ」 を観た >>