『疾走』 重松清

e0028123_23135820.jpg重松清の著書は少なからず読んできた。 それらには、人の心の奥に必ず潜んでいる人間としての「いじめ」の原石であったり。思春期の若者が不条理を乗り越える甘酸っぱい想いであったり。歳を重ねてもなお余りある情熱であったりと、ある程度の共通したテーマが存在していた。 そして、それらの小説の最後にはハッピーエンドでなくても、何かしらの「救い」があった。 ところが、この『疾走』にはその「救い」がない。

主人公の少年シュウジがたどる運命を描いているが、ひとことで言ってしまえば「崩壊」の運命が書かれており、重たすぎる。 この類の小説で記憶にあるものは山田宗樹の『嫌われ松子の一生』だ。 この小説もまた川尻松子の階段を降りていくような数奇な生涯が描かれていて、負の感情移入ができてしまうので、自分の気持ちが弱い時期には読みたくない本だった。 

 「現代の黙示録」などの書評もあるが、壊れていく人間の姿を克明に描く著者の重松清さんは何を訴えたかったのだろうか、と考えさせられてしまう。 文中後半に「・・君はつながっていたい人間・・」という言葉が出てくるが、心のつながりなしには人間は生きていくことができない動物であると再認識することをテーマとした小説だ、と勝手に解釈した。

登場人物の一人である「神父」が、あたかも神さまのように「おまえは・・」と、全編を天から見ているかのように俯瞰的に語る文体が冷やかな距離感を感じさせるが、妙に記憶に残った。
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by Hhisamoto | 2011-08-01 23:13 | ■えせ文化人(本、映画・・)
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