リリー・フランキー「美女と野球」

渋谷南平台で、久しぶりに我が弟と二人で飲んだ時、「中島らもの後を継ぐ天才的なエッセイを書くのがリリーフランキーだよ!」と教えられた。 

e0028123_23231277.jpg私の中で、中島らもはかなりの標高に位置するお方だ。 その後継者が現れたとあっては読まずにいられない。 さっそく翌日、リリー・フランキー「美女と野球」なる文庫本を購入し読み始める。 現在、通勤時間が規則正しく1時間ある労働者の私は、この手の本だと3~4日で読んでしまう。 読みながらあれこれ浮かんできた。 確かに中島らも調ではある。 しかしトーンに違いがある。 まずは、このリリー・フランキーなる方の話しは下ネタどころの騒ぎではない。 上から下へさがって、さらに中に食い込むようなエグイ世界観だ。 みんなの前で裸になった上に尻の穴を見せるようなレベルである。 (おっと、すでに感化されたような表現を使ってしまった。)

こういう文章を公に向かって書ける人は、住んでいる領域が違うような気がする。 立っている位置がすでに通常感覚の人間とは違う次元にあるのだから、そんな所から投げつけられる球は、我々には出どころの分からない魔球にしか映らない。 だから面白い。 

私の仲間で、ボクシングの日本チャンピオンになった男がいた。 大学の頃からアマチュアボクシングで戦績を重ねていたことと、まじめな性格を併せ持ち、オーソドックスで基本に忠実な、いわゆる「いいボクジング」ができる男だった。 しかし、それだけではプロで勝ち抜いていくことは容易でなかった。 壁にぶつかり、なかなか越えられないでいるように見えた。 悪いところは特にない。 だけど何かが足りない、何かが必要と悩み、もがいていた。 「自分の殻を破る」というフレーズがあるが、人間はそう簡単に変われるものではない。 そんな彼が日本チャンピオンに挑戦するチャンスを得た。 殻の中の従来の自分では勝つことはできない、と彼の中の動物的な感覚が悟ったのだろう。 彼は自ら殻を爆破し、自分を変えた。 そしてチャンピオンになった。 すごい男だ。 しかし、自らの力で自分を変えたその男は、ボクシングを引退した後も、殻を破ったその領域から戻ってはこない。 ミュージシャンとか、芸術的な奇人とか言われながら今も町をねり歩いている。

私のような凡人にはこういったまねはできない。 世の中の平均的なレンジを考えつつ、自分のポジションをとってしまう。 多少の研究と努力で、このポジションを向上させることができることは経験済みだが、自分が平均的なレンジの外にいることを知れば歩みが鈍る。 また、興味の対象以外に労力を割けなくなる時があり、気づくと世の中のレンジの下の方にいることがある。 これでは情けないので呼吸しやすい位置まで自分をあわてて戻す。 

私の生きるための呼吸のしかたは、おおむねこんな程度だ。
それでも、ほどよいレンジを見極め、その位置付けを確保することは簡単なことではないし、「ふつう」というバランスのとれた人間らしい居心地をキープすることは重要なことだ、などと言ってしまうほどの極めつけの凡人だ。 
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by Hhisamoto | 2005-12-09 00:19 | ■えせ文化人(本、映画・・)
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