インドカレーラーメン (その2)

井上宏生著「日本人はカレーライスがなぜ好きなのか」を読んだ私は、前節にて「インド人シェフが作るインドカレーラーメン」に対して、皮肉な笑いを投げてしまったことを後悔した。 氏の本によると、インドで誕生したカレーがイギリスを経て、文明開化に沸く日本に渡来した後、日本においていかに独自の変化をとげたかが描かれている。 

例えば、とんかつをカレーとドッキングさせ、カツカレーを作り出したのは、浅草の洋食屋「河金」のお客に対するサービス精神であったこと。 また、今をときめくカレーパンをあみ出したのは、1927年(昭和2)、東京・深川の菓子店「名花堂」の二代目・中田豊治という方だそうだ。 のちに銀座の木村屋をつくる木村安兵衛は、パンにあんを入れて「あんパン」をつくり、現代に至る大評判となったが、この中田氏は、パンにカレーを入れてしまった。 しかも、アイデアを真似ただけでなく、彼はカレー入りのパンを油で揚げる工夫を加え、「洋食パン」という名で売りだし、下町の人気を集めたという。 さらに興味深いことは、中田氏はこのカレーパンを「発明」として、実用新案七八四号として登録していたという。 

カレーを愛してやまないこの本の著者・井上氏の話しは、「福神漬」を10年かけて誕生させた海産物問屋・江戸屋の十五代目・清左衛門の逸話にまで至るが、著書の中で、日本ではじめて「カレーうどん」を世に送り出した店、東京・早稲田の「三朝庵」についても触れている。

近代化日本の貪欲さに溢れる明治という時代は、新しいものを恐ろしい速度で吸収していったらしい。 そして人はカレーをはじめとする洋食に傾き、外食産業の雄として長い歴史を誇るそば屋(大阪では、うどん屋)は、窮地に立たされた。 その苦境の中で、そば屋はカレーを敵にまわしながらも、一方で手を結ぶ政策をとったというのだ。 「カレーうどん」を生み出したこの三朝庵は、明治維新後に大隈重信が早稲田大学を起こすと、腹をすかせた学生や新しモノ好きな教授たちをおおいに満足させることになり、現在も堂々と店を続けているという。

どの話しも「いにしえ」ながら、奇抜で絶妙な知恵の成せる技としか言いようがない。 だとすれば、現代において、インド人シェフが「インドカレーラーメン」を世に出すくらいは、当然の試みだったかもしれない。 しかも場所は「カレーうどん」発祥の地、早稲田である。 突飛な発想を大真面目に実現しようとする者を、前節の私は、心の奥底でせせら笑ってしまった! 反省を込めて言いたい 「インドカレーラーメン 万歳!」 

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2005 初夏
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by Hhisamoto | 2005-07-17 01:56 | ■B級グルメ
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