『オリバーツイスト』とロマン・ポランスキー監督

e0028123_23371913.jpgチャールズ・ディケンスの名作『オリバーツイスト』をDVDで観た。 高校生の時、英語原文で読んだという記憶はあるが、内容の記憶がまったくない。 高校時代をいかに散漫にすごしていたかが分かるようでつらい。 

今回、ロマン・ポランスキーの作品として観ると、思いのほかユーモアがただよっていて、ミュージカルを観たような気分が残った。 私のイメージするポランスキー監督は、もっと人間の性を恐ろしく表現する人だと思っていた。 逆に、『オリバーツイスト』のように困窮の極み描いている原作を、人間性を強調して柔らかな印象を与えることにより、興味深く引き付けて観させることが、ポランスキー監督の表現者としての奥深さかもしれない。 

有名な話しだが、私の知っているロマン・ポランスキー監督とは、すざましい人生を歩んでいる人だ。

1933年にフランスに生まれる。 両親はポーランド人。 第二次大戦勃発2年前の3歳の時に両親と共に彼らの祖国クラクフに移住する。 7歳のときに家族と一緒に強制収容所に送られ、母は1941年に死ぬ。 自身はなんとか脱走して地方を放浪し、いくつかのカトリック教徒の家にかくまわれながら生き延びる。 その後、ポーランドで14歳から俳優活動を始めるに至るまでの労苦は容易に察することができる。 

1955年からは短編映画を監督するようになり、その後も監督・脚本・主演を務める。 29歳の時に初の長編映画「水の中のナイフ」を手掛けた。 欧州で名声を得た後にハリウッドへ進出。 1968年「ローズマリーの赤ちゃん」で一躍脚光を浴びるが、翌年の1969年、妻で女優のシャロン・テイトがお腹の赤ちゃんと共に、女性カルト教団に惨殺されるというショッキングな事件に遭い、失意で欧州へ帰ってしまう。

もうアメリカには戻らない、と言ったポランスキーだったが、シェイクスピア劇を血生臭いスタイルで仕上げた「マクベス」で再びハリウッドへ。 1974年には「チャイナタウン」が絶賛される。 しかし、1977年にロスのジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為をした事により逮捕。 なんと実刑 懲役50年以上という有罪の判決を受ける。 アメリカは時に子どもへの犯罪に対して徹底した糾弾がなされるが、まさにそのケースだ。

e0028123_23375194.jpgポランスキーは服役を避けるため、映画撮影と偽ってアメリカを出国し欧州へ逃亡する。 逃げ方もすごい。 その後、司法取引か何かをしたのだろうが、以来アメリカへは一度も入国していない。  

1989年に女優のエマニュエル・セニエと3度目の結婚をして、2人の子どもをもうけている。 『戦場のピアニスト』でアカデミー監督賞を受賞したが、のこのこと受賞式に渡米して、欧州に帰れなくなり、奥さんと子どもに会えなくなったら大変なので参加していない。

『兄弟』や『赤い月』を書いた日本のなかにし礼さんもそうだが、凡人の私から見れば、苦境と波乱を糧に生きているおそろしくたくましい人種、としか思えない。 芸術家とはすべからくこういうもの?
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by Hhisamoto | 2006-10-30 22:31 | ■えせ文化人(本、映画・・)
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