がんばっていきまっしょい!

夏は、なぜか読書に適した季節。 数冊の本をもって、開放された時間に、気に入った涼しい場所でも確保できれば、そこは頬が緩むようなゆりかごの中。 

最近、名古屋出張の多い私は、名古屋駅ビルエリアに三省堂がいくつも点在することを知った。 特に高島屋、松坂屋には、本選びに心地よい大型書店がある。 ネットのアマゾンも便利だが、やはり本は情報ではなく「モノ」であるから、手に取って、においは嗅がないまでも、パラパラと立ち読みすることは欠かせない。 あれもいいけどこれもいいと欲張ったり、財布と相談したりの時が楽しい。 また、平積みになって、前に出ている本が自分の趣味に合っていたりすると、「この店は、なかなかセンスがいい!」などと、ひそかに店を誉めたりする。

e0028123_23433796.jpgこの日、迷ったあげくに買った三冊の本はどれもカワイイ。 お盆が近いこの季節柄、戦争の悲惨さを伝える沖縄戦の本や、小泉総理が油を注いだ靖国関連の本も興味深い。 しかし、なぜか私が最初に読み始めた本は、敷村良子の「がんばっていきまっしょい」という、第4回坊ちゃん文学賞大賞作品だった。 

最近、映像にもなっていることをあとがきで知った。 舞台は実在する四国松山の進学校、あの夏目漱石が教員をしていた松山東高校(旧制松山中学)。 筆者の敷村女史は実の卒業生である。 コピーライターなどをしていたが、あり余る想いを形にしてしまった処女作品というやつだ。 内容は想像の範囲を超えない青春ものであるが、セピア色でもなく、澄んだ空色ともいえないが、なんとも良い感じの自然色を持っている。

ストーリーは、なんとか進学校に入ったが、すべてについていけない主人公の悦子が、何を思ったか、女子ボート部を立ち上げ、仲間を作り、ボートに打ち込んでいく。 しかし、彼女たちの感覚は、体育会系の持つそれとは異なる空気の中で、日常の時間が経っていく。 そして、そんな日常的で普通の感覚の中から、負ければ悔しいと思い、「このままでは終われない」というこだわりを持ち始めたりもする。 仲間意識も、不器用な表現の中で、着実に芽生えたりする。 しかし、打ち込んでいく気持ちとは裏腹に、貧血をおこして倒れたり、ぎっくり腰をやったりと焦燥感をつのらせる。 

全編そんな普通感覚にあふれた三年間の高校生活を描いているが、時折ハッとするような人間の生き方を示唆する表現に出会う。 「毎日毎日、人間の細胞は何万個も再生される。 一週間もすれば、外見は同じでも、違う人間だ。 この自分は今しかいない。 一瞬の自分。 この瞬間に感じていること、今、身体すべての血が逆流するほどときめくことだけに、夢中になってはいけないのだろうか。」 というくだりがある。 また、最後のページ、ひとり東京に旅立つ悦子は「大人の階段は昇るというより、深い地下室におそるおそる降りていくような感じがした。」と表現する。

奇をてらうことなく、自分を主人公に置き換えて、ストレートに語るこんな小説が、私は大好きだ。 等身大で、背伸びせず、かつ、小気味良い。 純でほろ苦い「青春ドラマ」を読んで、新幹線の時間を楽しむオジサンがいてもいいだろう。 文句があるか!

あしたも、がんばっていきまっしょい!

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2005 夏
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by Hhisamoto | 2005-08-12 23:14 | ■えせ文化人(本、映画・・)
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