内館牧子 「女はなぜ土俵にあがれないのか」

e0028123_20431650.jpg1981年、まだ国技館は蔵前にあった。
東洋無敵のバンタム級チャンピオンだった村田英次郎さんが、時の世界チャンピオン、ジェフ・チャンドラーと世界タイトルマッチを闘ったのがこの蔵前国技館だった。 その時来日したジェフ・チャンドラーには、ビッキーオニールという女性マネージャーが同行していた。 ボクシングにおける四角いリングも聖地といえるが、女性があがることに何の問題も提起されていない。 むしろ、ショーアップするためにラウンドガールがインターバルのたびにお尻をフリフリ周回することもある。 試合の前後にはセレモニーがあり、花束をかかえた振袖姿の女性があがることもある。 しかし、本来相撲のためにある国技館を借りてボクシングの試合を行う場合はそうはいかない。 張ったリングの下には土俵があった。 間接的にでも土俵上にあたるリングに女性はあがってはいけないという。 それが相撲のための国技館を他目的で利用する際の条件とされていた。 当時、ボクシングトレーナーの見習いのような存在だった私がこれを聞いた時は「相撲界っていうのは面白いタブーがあるんだなぁ」と軽く納得した記憶がある。 アメリカ人女性マネージャーのビッキーオニール氏も、関係者からその説明を受けて了承したという。 

私が「女はなぜ土俵にあがれないのか」という本のタイトルを目にした時、この1981年の蔵前国技館でのことが思い起こされて興味深く読ませてもらった。

著者の内館牧子さんがこの本を書いたモチベーションにはいくつかの要因があるようだが、私がつよく感じるのは、内館さんが自分自身の発言に対して責任をもっている点だ。 内館さんはかねがね「土俵は女人禁制」という相撲界の慣わしを解く必要はないと発言している。 その発言が、男女差別することなく土俵にあがらせろと迫る森山眞弓官房長官や太田房江大阪府知事などとぶつかっている。 男女同権やグローバリズムなどの順風を受けて、その論陣は強力だ。 対する大相撲界の理屈はというと説得力に欠ける粗野なものだ。 内館さんは、その代弁をするがごとく、また言葉を扱う専門家としての責務を果たすかのように立ち上がっている。 

内館さんは、50代後半を東北大学大学院に身を置いてこの研究に尽くした。 その行動は日本初の女性横綱審議委員を務める立場を厳粛に受け止めた立派なものだと感じる。 また、そんな理屈っぽい言い方をしないまでも、彼女の性格には、対峙する相手から決して目をそらしたりせず、正面から受け止める不器用で真摯なものがあるのだろうと思えた。

著書の結論付けとしては、大相撲1,350年の歴史をひも解いてみても、現代に通用する重みのある理論は見つけられなかったのだ。 しかし、理論ではなく聖域に結界を張ることを続けてきた相撲の伝統を守る行為そのものの意味を見出している。 

また、女性を蔑視してきた根本的な理由に「女性への畏怖の念」が多少なりとあるとしている点も興味深い。 つまり、女性に対する差別は、男性にはない女性の「産み出す能力」などが、男性からすれば恐怖や脅威と感じられるのだ。 それゆえに、男性は逆ギレ的発想で暴力的に男社会を形成してきたともいえる。 女性を封じ込めておかなければ男性の手には負えないことを直感していた、と考えれば面白い。 

結局、国技という概念も、また女人禁制の論理もあいまいだったし、大相撲の聖なる領域を守るための結界の定義や保守の方法も徹底されていなかったことを内館さんは知った。 それでも氏は、自身をはじめ大相撲を愛する各時代の人々が、女人禁制を含む形式や様式美を守っていることそのものが愛すべき対象であることに気づいた。 愛すべき価値のある習慣か否かが重要であって、現在は女性を不浄と考えているわけでもないし、まして男女同権の議論の対象ではないのだ。 

内館さん、もし理論で負けても、世の中の大多数が敵にまわっても、私は支持します!
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by Hhisamoto | 2007-01-19 20:43 | ■えせ文化人(本、映画・・)
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