山本一力 「ワシントンハイツの旋風」

私があらためて小説に魅せられたのは、30代後半に、パールバックの「大地」を、落ち着いて読む機会を得てからだ。 それまでの私は、ノンフィクションの中にこそ、リアリティを見出せる、と錯覚していたところがある。 ノンフィクションの臨場感からすれば小説(フィクション)は、所詮、「作り物の世界」という観念があったようだ。 しかし、パールバックの極まるような人間洞察の深さに圧倒されてしまい、それまで持っていた読書の世界の狭さを悔いた。 すべての書物は人間の良質な創造物であり、人の心に届く書物に対するジャンルの区分などは、図書館に収まる際の背表紙にしか役立たないことを知った。 一皮むけた小説との付き合いはそれからだ。

e0028123_2247787.jpg私はこの夏、山本一力の「ワシントンハイツの旋風」という、2003年の作品にめぐりあった。 山本一力さんの描く作品といえば、小気味の良い江戸人情モノという固定観念ができそうになっていたところだったので、興味深く一気に読ませていただいた。 時代背景や舞台となるシュチエーションは、氏の体験にもとづくものであることが予想できる。 私も生まれは東京・渋谷だが、ワシントンハイツという米軍住宅があり、東京オリンピックを機に、今の代々木公園に生れ代わったことなどは知らなかった。 

私の祖父は、日本における洋菓子の黎明期にその技術をもって東京へ乗り込み、当時の東急グループの二代目・五島昇の東急多摩田園都市計画に賛同して、渋谷を中心に異色ある洋菓子の店「ヒサモト」として10店舗ほど経営した。 そのころは、身内から成功した人間がでると、親類一同が集まって事業を支えた時代だった。 私の父母も渋谷店の仕事に従事し、神泉駅前の藤田ビルという鉄筋アパートで暮しながら、私を産み、育ててくれた。 

1966年、私は小学校進学と同時に目黒の駒場に移り住むが、目と鼻の先なので渋谷の記憶は多くある。 当時、渋谷・神泉界隈・円山町には、芸者が集う見番があり、人の流れと共に、三味線の音色が常に聞こえていた。 東急百貨店から出発するチンチン電車は、路面を走って三軒茶屋に向かっていた。 リキパレスが道玄坂中腹にあったし、プロレス好きな父は、体の大きな選手をよく店に招いていたようだった。 幸要軒の「かつサンド」は世界で一番美味かった。 商店街の華やかな喧騒、芸能人にやくざ者。 学生運動が盛り上がっていた時期には、道玄坂がデモ行進の場となり、交番が焼かれ、腕を失くした警官の話しも、身近な出来事として聞いた。

時代背景は、私の年代よりひと回りさかのぼるが、高度成長期の昭和の舞台を想像できるこの小説を、楽しく読ませてもらった。 でも、やっぱり山本作品は「あかね空」に代表される江戸の市井を描いた時代小説だと思う。
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by Hhisamoto | 2005-08-21 20:54 | ■えせ文化人(本、映画・・)
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