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「夜回り先生」 水谷修さんのこと

2006年3月22日、「夜回り先生」で知られる水谷修さんの講演会が国立市であった。 
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すでにマスコミを通じて知っている話しが多いはずだが、この人の肉声を聴いて、何かを得たい気持ちが強かったので、平日の6時30分からの講演を聴きにいった。

この水谷先生は15年前まで、横浜の進学校のごく普通の社会科教師だったが、友人教師とのある係わりから、夜の世界の先生と呼ばれるようになり、延べ10万人の危機を訴える子供たちと接することになる。 

リストカットでしか自分のはけ口を見出せない子供たちのこと。 
責任を取らない教師への怒り。 
第三次薬物乱用時代は10代の子供たちがターゲットになっていること。 
大人は言葉を使いすぎず、子供を信じること。
なぜ叱る必要がある。 子供には美しい、優しい言葉をかけてやれ。 
亭主は妻に仕事の憂さをぶつけ、妻は子供にその憂さをまわす。子供はどうなる。
あと少しのところでシンナーから抜けられずに死んでいったマサフミ君のこと。 
「頑張れ、強くなれ」は通用しない局面を知ること。 
錠剤を人前(特に子供の前)で飲む姿を見せないこと。 
HIVで壮絶に死んでいったアイちゃんのこと。 
性教育を抑制している東京都に対し、知識に罪はないという持論。 
小泉内閣の行政が、地域の負担を家庭に移行させようとする安直さへの警鐘。 
8年前の藤沢市の中学が地域に対して行った「笑顔での声がけ運動」のこと。 

すでに人からの話しやテレビ・本などで、ほとんどの内容は知っていたが、これらを語る水谷先生の言葉に、この人の苛烈な生きざまをあらためて感じさせられた。 

また、立て板に水のように話す言葉の端々から、「夜回り」という作業のリアリティが垣間見れた気がした。 例えば、先生自らが言う「夜の世界」から子供を救い出すための具体的な行動に、組織暴力団との駆け引きがあるらしき言葉を聞いた。 「足を洗いたいなら指を詰めて持ってこい」と言われている子供に対して、「よし分かった、先生が話しをつけに行ってやるよ」と言うのだから、その後はテレビドラマのプロセスとは異なるものがあることは推測できる。 このような解読は、編集されていない生の声から聞き取れる機微だ。 自分は千人のスタッフや協力者に支えられている、とも言う。 もしかすると、この人はマスコミを日本一有効に活用した先生かも知れない。

それから、水谷先生が先に使った言葉なのか、あるいは槇原敬之が先なのか分からないが、「世界に一つだけの花」にあるフレーズが使われる。 『子供たちはみんな個性豊かな世界にひとつだけの花だ。 なぜ比べる必要がある。 ほめて伸ばしてあげればいい。』  私はこの言葉も生で聞いてみたかったのだ。
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by Hhisamoto | 2006-03-25 11:24 | ■えせ文化人(本、映画・・)

篠田節子 「ロズウェルなんか知らない」

過疎の村がUFOやオカルティズムで町おこしを企てる、という話しだが、著者の篠田節子さんは、常に一風変わった社会派ドラマを読ませてくれて楽しい。
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そのうちにテレビドラマになるのではないか、と思わせるようなアイロニーの効いた内容だが、社会的な問題意識をしっかりと刺激している。 地方都市が抱える「過疎化」という問題は、笑って過ごせるテーマではなく、必死に取り組んでいる人々が確実にいるはずだ。 

小説の舞台は「駒木野町」という仮想の町だが、篠田節子さんのファンクラブサイトによると、モデルになった町は福島県飯野町という実在する町だそうだ。 そこには、「UFOふれあい館」というものがあり、縄文の夢を未来につなぐUFOの里、福島県飯野町というキャッチフレーズと共に紹介されている。 館長が写真入りで熱いメッセージを掲載しているし、「みちのくプロレス」の代表であり岩手県議会議員のグレートさすけも参戦している。

さらに、そのサイトのメニューには「UFO目撃情報」というコーナーがあり、日本全国からの目撃体験談がたっぷり寄せられているのも面白い。
福島県飯野町UFOふれあい館

小林よしのりが「わしズム」と称して社会を評するように、篠田節子さんの社会についての語り方というものが、このような小説になって顕わされるのだろう。 そして、語るからには、そこから社会性のある活動に結びついてくるのだと思う。

私にとって社会性のある活動といえば、地域の子供、とりわけ幼児期の子供たちの保育の場を支援することだ。 疲れてしまわないように肩の力を抜いて、かつ真剣さを持ち続けながら、この活動を継続していく。 これが今の私が大切にしているささやかな社会参加だ。
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by Hhisamoto | 2006-03-19 21:33 | ■えせ文化人(本、映画・・)

Dr.バーニーのこと

オーストラリアの化学情報会社の代表であるDr.バーニーが来日した。
バーニーさんはグローバル企業の経営者であると共に、豪州の有力な化学者の一人だ。

e0028123_23242122.jpg私は、2月からの一ヶ月間は折衝の準備に追われ、来日した3月16日・17日の2日間は付きっきりでのアテンドに忙殺された。

見たところ60才くらいと思われるが、このバーニーさんのスーパータフネスは有名で、17ヶ国に拠点を置いてビジネスに世界中を飛び回っている。 
睡眠時間は1日3時間という。
この日も朝から我々と内容の濃いミーティングをこなし、話しを打ち切るようにして連れて行った昼食では、サーロインの鉄板焼きを食いながらビールを飲む。 午後からすぐに再開された打ち合わせでも、引き続き我々日本チーム7人が束になって挑み、なんとか結果を導き出す。 へとへとになりながら夕食のフレンチにもつれ込むと、ワインを飲みながら世界各国を歴訪した話題をよどみなく3時間はしゃべり続ける。 私がバーニーさんと知り合って1年半になるが、雑談の一つにしても重複したことを話さない脅威の記憶力を持つ。 

夜9時を回り、なんとか日本チームの社長がお開きにするタイミングを得て、長い一日に終止符を打った。 ノンストップで12時間に及ぶ通訳をしているユキエさんも限界のはずだ。 私が新宿のセンチュリーハイアットまで送り、次の日は今日より30分遅い朝9時に迎えに来ることを告げると、バーニーさんは「それでは朝6時からホテルのジムで軽く汗を流して待っている」と私に告げて、ボーダフォンのメールをチェックしながら、ホテルのエレベーターホールに消えて行った。 

このバーニーさんは魚介類を一切口にせず、徹底したように肉しか食わない。
帰り道のボーとする頭に浮かんできたことは、「この手のタフネスは肉食人特有のものであり、私のような日本人には逆立ちしても真似できないものなのだろうか」という劣等感にも似たものだった。 

昨年、私がオーストラリアに行った際にも、連れていかれたレストランで
「ここは変わった肉が食べられる。 ワニの肉でもトライしてみるといい。」と言われた。
「ワニの肉って、どんな味がするんですか?」とバーニーさんに尋ねると、
「カンガルーの肉の味に似ているよ」という返事が返ってきた。

残念ながら、凡人の私にはわけが分からなかった。
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by Hhisamoto | 2006-03-17 22:47 | My room

篠田節子「讃歌」

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今、篠田節子さんの本が面白い。

話しの流れやプロットが自然なので、一気読みしてしまうという書評が多いこともうなずける。
また、同じ女性作家でも、小池真理子さんのような情感的な作風とは対極的なモノを感じることができるので、私は好きだ。
物語は、慎ましやかな小さな教会のコンサートで、たまたま聴いたヴィオラの音色に涙したテレビ製作会社のディレクターが、これほどまでに人を感動させる力のある音楽というものが存在することを知り、この音色を紡ぎ出す演奏者の人間像に焦点を当てたドキュメンタリー番組を作る想いを懐くところから始まる。

ヴィオラの演奏者は、柳原園子という四十代半ばの華奢な女性だが、約30年前に天才少女バイオリニストとして世界的なコンクールに入賞し、アメリカのハースト音楽院で学んだ。 しかし、そこでのカルチャーギャップに苦しみ、精神薬がもとで事故を起こし帰国。 その後も、通常の生活もままならないほどの後遺症と共に暮らすという波乱に満ちた経験を背負う人物だった。 

しかし、楽壇の重鎮・佐藤清一郎との出会いが園子の運命を神がかり的に変える。
精神的なリハビリのために参加していた教会での園子のバイオリン演奏を、偶然にも佐藤清一郎が聴いて声をかける。 「二十年を超えるブランクがありましたから、本当はまだとても人様の前で弾けるようなものではないのですが」と園子が言いかけると、「涙とともにパンを食べることによって、音楽は豊かさと深みを増すことがある」と佐藤は言い、さらに「君に合うのは、バイオリンではなくヴィオラだ。 君がヴィオラを選ぶのではない。 ヴィオラが君を選ぶのだ。」という佐藤の言葉に、園子は驚きと感動を覚え、以後ためらうことなくバイオリンをヴィオラに持ち替えた。 そして、人の心を揺さぶる音色を奏でるに至る。

テレビ放映されたヒューマンドキュメンタリーにより、一躍柳原園子は注目をあびる存在となる。 古典的なクラッシック演奏者とは若干異なる立場で・・・


だいぶ以前に、フジ子・ヘミングのNHKドキュメンタリー放送後、クラッシックに疎い人々がコンサートに押しかける現象があったそうだ。 その際に、専門家が中心となり「クラッシック音楽とは、そんな浅い芸術ではない」という警鐘めいた話しが多くあったそうだ。

それでもやはり、私はフジ子・ヘミングの「トロイメライ」には安らぐ気持ちを覚える。
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by Hhisamoto | 2006-03-11 21:32 | ■えせ文化人(本、映画・・)

岡崎朋美の太モモ

e0028123_20345866.jpgスピードスケートの岡崎朋美が現役続行を明言した。

38歳で迎える4年後のバンクーバー五輪への5度目の出場に意欲を見せた、と聞いて私は本当にうれしく思った。 
今のスポーツ界はプロとアマの境目がなくなりつつあるので、アマであっても価値がある人間にはスポンサーがつき、選手として活動する道が開けるはずだ。 海外の五輪選手で、結婚・引退・出産して、また現役に復帰する選手は多いが、その姿には、むしろ競技選手としての記録以上に敬意を抱いて見てしまうものがある。 価値のある「生きザマ」を見せてくれる選手だから現役を続けてもらいたい、と思う人が多かったのではないだろうか。

岡崎はまた、スピードスケート界のためにアドバイザー役を買って出ることも明言しているそうだ。 「これからは所属の垣根を越えて男子にも口を出していこうと思ってます。 下の子の面倒をみながら、人間としての幅も広げていきたい」、との弁は彼女の太腿のように頼もしい。

昨年の夏、トリノに向けて、徹底的に自らを律した厳しいトレーニングには、若手の選手もついてこれなかったそうだ。 さらに、岡崎が思い出すのは長野五輪の時だという。 時のライバル・島崎京子とは、レース前は目も合わさなかったほどレースに対して執念を持っていた。 「清水宏保にしろ、堀井学にしろ、大会前から戦う意識がみなぎっていた。 そんなギラギラした雰囲気が今の若手にはない」という。

トリノ五輪のレース直後の空き時間だったと思うが、競技を終えた岡崎が後輩を従えての「ヒートオフ・ラン」というシーンをテレビで見たが、後輩に闘う心のバトンを無言で渡しているように見えた。 追走した後輩選手の名は忘れたが、どんな記念品や言葉をもらい受けるより心に響いたのではないだろうか。 美しいシーンだった。

--- 岡崎朋美 ---
1971年(昭46)9月7日、北海道斜里郡清里町出身。
釧路星園高から90年に富士急入社。

94年 リレハンメル五輪 五百メートル14位。
98年 長野五輪 五百メートル3位。
02年 ソルトレークシティー五輪 五百メートル6位。
06年 トリノ五輪 五百メートル4位。

五百メートルのベストは37秒73。
1メートル63、56キロ。 太腿の周囲は58・5センチ。
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by Hhisamoto | 2006-03-11 08:17 | ■おやじスポーツ