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岩本輝雄さんのドキュメンタリー

e0028123_1533216.jpg元サッカー日本代表の岩本輝雄が出演するNHKドキュメンタリー「街道てくてく旅 東海道五十三次完全踏破」という番組を見た。 と言っても私の見たのは再放送の、しかも総集編だったので、4月3日に岩本が東京を出発して、京都・三条大橋でゴールを迎えるまで1ヶ月半も要した旅だったことは後から知った。

私の見た総集編では、彼が東海道沿いの宿場町を訪ねながら、途中でファンのおばあちゃん(なぜか若者ファンは見当たらなかった)たちに励まされながら、東京から京都までひたすら歩く、という全体的にゆったりとした展開の番組に見えた。

その中で、岩本がぽつぽつと語る言葉があるのだが、特に印象に残ったのは、「もう300K以上を歩いてきたけれど、キツイのは激しく降る雨でもなく、照りつける太陽の暑さでもありません。 昼めし後の睡魔です。」というフレーズだった。 

この言葉から感じさせられたことは、人間が生きていくにあたり、最もつらく厳しいことは、真正面からくる大きな試練ではなく、むしろ平凡な日常の中に、なにげなく横たわる低いハードルを一つ一つ丹念に、きちんと乗り越えていくことなのかもしれない、と私は思った。

そして岩本は、最後に京都・三条大橋でゴールすると、「これから僕は何をして生きていくのか、しっかり考えたい」といったコメントで締められていた。 若くしてJリーグを引退し、次の人生を考える局面を迎えている男の顔は、いろいろなものがミックスジュースになっていて、なんとも味のあるものだった。
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by Hhisamoto | 2006-07-30 22:38 | ■おやじスポーツ

本宮ひろ志先生のこと

e0028123_21115485.jpg7月19日の深夜番組 「明石家さんま特番 白洲次郎に会いに行く 日本一かっこいい男の武士道精神」 という、やたらと長い題名の番組を見た。 その中で、白洲次郎と共に戦後日本の復興期を担った政治家・宮沢喜一元総理大臣に、さんまがインタビューするシーンがあった。

さんまは、いつも通りの軽いトークで、宮沢喜一から白洲次郎とのエピソードを引き出そうとするが、宮沢氏は「いろいろなことがあったよ」とそしらぬ顔で受け流して、話しがかみ合わない。 「何を聞きたいの?」と逆に問いかける宮沢氏に対して、さんまは具体的にいつ、どのような場面でのことを聞きたい、とまで踏み込んでいけない。 つまり、インタビュアーとしての準備や勉強が足りなかったのである。 今までなら、さんまに会うたいていの相手から歩み寄って「例えば、あの人とはこんなことがあってね~」と、手を差し伸べてくれるところだが、宮沢氏はそうはいかなかったのだ。

これは、あながち宮沢喜一元総理の意地悪ではないと私は思った。
世の中には本物のインタビューが必要な程、引出しの数が多い人物というのがいるのだ。 私は以前、マルチメディアの仕事をしていた頃、漫画家の大御所である本宮ひろ志さんにインタビューを行ったことがある。

その時、私はインタビューのための準備をまるっきりしていなかった。 すでに面識のあった本宮先生の性格からして、ちょっと話しを振り向ければどんどん勝手にしゃべってくれるだろう、という程度にしか考えていなかった。 ところが、本宮先生はインタビューを正面から構えてくれていたから、話しは遅々として進まない。 私の浅はかさを読み取った先生は、「面白い話しを引き出せるかどうかは、インタビュアーの腕しだいなんだぞ。」とピシャリと戒められ、それから延々とこちらが聞きたがりそうな話しを一方的にしてくれた。 作家、芸能、政治、女の話しから最後は宇宙の話しに至るまで、すべて興味深く引き付けられる内容で、はっと気がつけば4時間は経っていたが、まさに時間のたつのを忘れていた。

私は本宮先生の人物にあらためて驚嘆・敬服するとともに、準備すら怠っていた自分のアホさかげんに自らあきれ果て、穴があったので、米粒大の虫になって入っていた記憶がある。

数多くの貴重な出会いと、数多くの失敗を経験した。
それでもまだ繰り返しそうな気がしている自分のアホさがいやだ。
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by Hhisamoto | 2006-07-20 08:36 | ■えせ文化人(本、映画・・)

重松清 『ナイフ』

e0028123_23331768.jpg本の題名の『ナイフ』は5つの短編の1つだが、この小説は別々の五話で一冊の本に成り立っていると思う。 一話づつでは消化不良だ。 五話を読んで気持ちが満たされるバランスを得ることができる。

「あんた、今日からハブだから」
「一学期の期末試験を数日後に控えた七月初め、あたしは一夜にしてハブになった。 もちろん、ヘビになったわけじゃない。 村八分のハチブを略して、ハブ。」 という冷たい憤りを感じるイジメ話し『ワニとハブとひょうたん池で』から始まって、『ナイフ』、『キャッチボール日和』、『エビス君』、『ビタースィート・ホーム』の五編からなる。

少年少女の「イジメ」を中心にした心の葛藤がテーマだが、イジメは子供が単独で起こしている問題ではない。 大人社会の歪みなどを投影したり、大人との係わりが背景にあるのだと暗に訴えている気がしてくる。

前編の『ワニとハブとひょうたん池で』、『ナイフ』を読んだあたりでは、イジメのいやらしさに忸怩たる思いが集積するばかりで、なんともこのままでは眠れない、といった気分にさせられる。 『キャッチボール日和』では、甲子園のヒーロー荒木大輔の名を自分の息子に与えた親の思いが描かれている。

   「息子が生まれたら大輔と名付けよう!」そんな約束をしたのでした。 
   まったくバカです。 

象徴的なこの一節。 そしてこの大輔が徹底的にいじめられる。
しかし、思いの一部が晴れる結末もある。
39勝49敗で引退試合を迎える荒木大輔とのオーバーラップ。
幼い少女の精一杯の表現力。

『エビス君』に至って、やっと思いが晴れる。
イジメも友情も紙一重、という話しに胸をなでおろす。

『ビタースィート・ホーム』は、まさに今、私が置かれているような世代と環境だ。 子を持つ親と教師が諍う様子を描いているが、親が子を思う気持ちは強い。 「勝てるわけないよ、教師なんて、ぜったいに」というフレーズが出てくる。 いろいろな制約を受けている現在の教師は、どうやって子供たちへの思いを表現するのだろう。 親が子供を守りたいのなら、親は教師のことも守る気持ちが必要なのではないだろうか。 怒りをこめて学校に怒鳴りこんだ、という武勇伝はもう古い。 親と教師で子供を守っているはずだ。 意識を変えていく必要があると私は思う。
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by Hhisamoto | 2006-07-10 21:41 | ■えせ文化人(本、映画・・)

東銀座「ラ・ソース古賀」のソースカレー

e0028123_194940100.jpg東銀座、東武ホテルの真裏にある「ラ・ソース古賀」という、店内にバーカウンターが見える雰囲気のいいカレーハウスを見つけた。 元来がフランス料理のシェフだった古賀義英さんという方がプロデュースしたそうで、 "SAUCE CURRY" と書いて「ソース・キュリー」と読ませている。 

トッピングはあるが、基本はこの「ソース・キュリー」の一種類だ。 牛すね肉と十種類の野菜から抽出したブイヨンに、カレールーとワインとスパイスを加えた"ソース"を、ご飯といっしょに食べる、というシンプルにしてごまかしの効かない、ホンモノの味を追求。とリーフレットにあった。 私はこのコンセプトが大好きで、味で勝負するカレーハウスは、野菜カレーだとか、なんたらカレーというメニューの前に、具材の一切ない「プレーンカレー」を出してほしいと思っている。

すでにこの考え方を実践しているお店を私は知っている。 西国分寺北口のカレーハウス「すぷーん」だ。 ここの山田シェフはニューオータニの厨房にいらした方で、この「すぷーん」というお店も今月で10周年記念ということだ。 「プレーンカレー」を420円で出しているが、最高に美味しい。 「カレーそのものが美味しいので、いつも一番安いプレーンカレーですみません」と謝りながら、週に一回は食べているカレーだ。

e0028123_19495964.jpg今回は、「すぷーん」以来初めての本格ソースカレーなので、わくわくしながら待つこと1分。 まず、タマネギのサブジのようなものが出された。 しっかり冷えていて、味付けもしっかりしている。 さらに4~5分後にソースカレーが出てくる。 インドカレーのように香りがたっている観はないが、硬さ加減のいいゴハンと共に口に含めば、ブイヨンのうまみがしっかり感じられる。 洋食屋のソースカレーとも違う。 「うまみ」をしっかりと引き出しているソースを感じる。 カレーに添えられていたルビーオニオンという「小玉ねぎの赤ワインビネガー風味」も美味しかった。 味が香りを抑え込んで前面に出ていることが少々気になったが、これはカレーである前にソースなのだ、と認識すれば、十分に満足できた。

e0028123_20525617.jpgそれからもう一つ。 私は時間はずれの午後3時ごろに店に入り、カウンターに座ったが、目の前に大きな豚の足がハムになって置かれているのに驚いた。 聞けば、その場でスライスして出してくれるそうなので、これも好奇心で食べてみた。 食後のコーヒーには合わなかったが、夕方から席に座り、冷えた白のドイツワインあたりで食せば最高にいけそうだった。

豚は高級そうな名前がついていたが忘れてしまった。
ソースカレーは1,250円だった。
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by Hhisamoto | 2006-07-08 19:48 | ■B級グルメ

エディさんのこと

e0028123_2375574.jpg6月はボクシングの試合に縁があり、後楽園ホールに二度足を運んだ。 一回は金子ボクシングジムの興業。 もう一回は先輩である村田英次郎さんが会長を務める大阪のエディタウンゼントジムの興業だ。

大阪にあるエディタウンゼントジムからすると、地元大阪を離れた東京での興業は、チケットは売りにくいし、応援合戦でも歩が悪くなるので何かとやりづらいはずだが、それでも試合を受けるに値するものがあったのだろう。 そしてこの試合は、東洋太平洋チャンピオンの小松則幸(エディタウンゼント)と、日本チャンピオンの内藤大助(宮田)がそれぞれのタイトルを賭けて戦い、勝者が2本のベルトを腰に巻く、というプロレスのようなイベントタイトルマッチだった。 

結果は、日本チャンピオンの内藤が6回TKO勝ちで、エディタウンゼントジムの小松を破った。 応援していた我々小松サイドは、納得するしかない明確な結果と悔しさの入り混じった想いを抱きながら後楽園ホールを後にした。

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エディさんは、私がアメリカで仕事をしていた1988年に他界された。 当時アメリカでは、日本のテレビ番組を日本で録画してアメリカに送り、それを在米日本人向けにレンタルする店があった。 私がエディさんの死を知ったのは、そこでレンタルされていたNHKの特集番組だった。 がんに侵されたエディさんが、世界チャンピオンになる井岡を見送りながら息をひきとる苛烈なドキュメンタリーだった。 レンタルショップのオーナーに頼み込んで譲ってもらったビデオテープは今も私の手許にある。

私の幸運は1980年前後の隆盛期だった金子ジムの一員としてエディさんと接する機会を得たことだと思っている。 資格を得てからもプロのリングで戦わず、アマボクサーで現役を終えた私に、ジムはセコンドライセンスを渡してくれた。 そしてトレーナーとして過ごす間に、私はエディさんから明確な教えを受けた思いがある。

例えばそれは、技術的なことではなくとてもベーシックなことだった。
他人からみれば取るに足らないことだったが、私にしてみれば勇気を出した言動に対してエディさんは瞬時に私の心の中に入ってきて「それでいいのよ。それが大切よ!」と言って真剣なまなざしを向けてくれた。 それは、私の発言の内容に関してではなく、私が思い切って一歩踏み込んだことに対してであることがよくわかった。「私のことなどは、エディさんの目に入っていないだろう」と思っていた時だった。
エディさんとは心に目を持つそんな人だった。
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by Hhisamoto | 2006-07-07 23:07 | ■おやじスポーツ

猿楽町『カーマ』のチキンカレー

e0028123_2126506.jpg冗談で名乗っている全日本カレー協議会の会長という肩書きが功を奏しているらしいが、最近は人からカレーハウスを紹介されることが多い。 しかし、「ところで久本さんの最近お勧めの店は・・」とたずねられると、おもわず口ごもってしまう自分に気づき、これではイカンと思いはじめた。

私の習性として、高級なレストランなどに入ると、「どこからこんな値付けになるんだ」などと、あら探しを始めてしまうし、目立たない小さな店のメニューの一つにこだわったりするから、星の数をつける基準など持ち合わせていない。 だけど、それぞれの記憶に残る印象や特徴を書き留めてはおきたい。

よく神田から御茶ノ水界隈には美味しいカレー屋さんがたくさんある、と言われている。 学校と企業がほどよく配置されているから、おのずと店の数が多いのだろう。 この界隈で選べと言われたら、その一つに『カーマ』を挙げたい。

店に一歩踏み入った瞬間からスパイスの強烈な香りに包まれる。 チキンカレーを食べた一口目で、その辛さと香りたつスパイスにむせる。 プロボクサーはアマチュアとは異なり、ジャブからではなく、時にいきなりの右ストレートから入ってくる。 そんな印象だ。

このカーマのカレーは洋食屋のカレーではない。 純然としたインドカレーに工夫を加えたものだ。 塩味がやや強いが、美味しいインドカレーに出会えた。 ご機嫌!
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by Hhisamoto | 2006-07-06 21:24 | ■B級グルメ

レストラン『七条』のエビフライ

e0028123_22132276.jpg仕事場の社長といっしょに、神保町・小学館ビルの地下にある洋食屋『七条』でエビフライを食べた。 昼飯時には常に行列ができているので、一時間ほど時差出勤して席を確保するしかない。 最近は、TVで山本益博氏が紹介したとかで、一段とにぎわっているらしい。

目上の人と二人で食事を共にするのは、私のような無頓着な人間でもそれなりに気を使ってしまう。 特に、現社長のように大手企業の生え抜き重役から、このちっぽけな子会社の社長になった方のプライドの在りどころなどを考えはじめると、意に反してつまらない話題を選び出してしゃべっている自分がいたりする。 「出世しようと考えているわけでもないくせに! ガバガバと変化球を投げつけてやればいいんだ。 その方が面白がられて、喜ばれるもんだ。」と、自分を問い詰めるのは、いつも後の祭りの帰り道だ。

そうは言いながらも、3本盛られてくる大きなエビフライに、社長の分まで1本いただき、4本を食べた。 油が良いためか、4本の大きなエビフライを定食で平らげても胃にもたれる感じはなかった。 エビはプリプリ、衣はサクサクに揚がっていて歯ごたえ十分だ。 

実はこの『七条』のエビは冷凍だそうだが、解凍時に塩や重曹を絶妙な割合で使うことにより、プリプリ感をかもし出す「隠し技」があるとか。 また、フライの衣に重曹を入れるとカリッと仕上がると聞いたこともある。 もしかすると、いろいろな技を駆使している店なのかもしれない。

相手に偏って気づかうことなく、常に自分のペースを保持しながら、いやみのない自由な発想で感じたままを話すことができ、かつ、相手に充足感を与える。 そんな空間をかもし出しながら人と食事ができたらなァ。
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by Hhisamoto | 2006-07-04 22:15 | ■B級グルメ

アガシのウインブルドン2006

e0028123_9502894.jpg今年の全米オープン終了後に現役引退を表明しているアガシにとっては、ウィンブルドンも今年が最後の大会となる。

第6日目の男子シングルス3回戦でラファエル・ナダルに敗れた直後、これが彼の最後の姿になることを知っているセンターコートの観客からの拍手が鳴り止まず、用具を片づけ始めたアガシがコート中央に戻り、四方の客に投げキスと礼で応えた。 さらに、競技委員が異例のインタビューマイクを向け、ファンに感謝の言葉を告げる一幕があった。

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英国に対して特別な思い入れを持っているわけではないが、テニスのウィンブルドン選手権には、英国の伝統と節度のようなものが、好ましい形で反映されていると思える。 時を同じく開催されているサッカーワールドカップのサポーターとは対照的に映るセンターコートの観客たち。 その観客から、期せずして巻き起こった鳴り止まない拍手の嵐は、アガシの目を潤ませる温かいものだった。 おじさんはこんなシーンに単純に感動してしまう。
 
テニスプレーヤーとして87年に17歳でツアーデビュー。 翌年18歳で6つの大会で優勝し、92年にはイバニセビッチを決勝で破り、ウィンブルドンで優勝を飾るなど、90年代前半をトッププロとして活躍してきたアンドレ・アガシだ。 

下世話だが、その私生活はちょっと面白い。
97年4月に女優のブルック・シールズと結婚したが、わずか2年で離婚。 その結婚期間中に世界ランキング141位までに落ちて、アガシはもはやここまでと云われる。 しかし、一足先に引退したシュテフィ・グラフと交際を始め、2001年10月に再婚する。 そして、奇跡的なカンバックを遂げて、フレンチオープンを優勝しグランドスラマーとなる。 つまり、ブルック・シールズは「さげまん」で、グラフこそが「あげまん」だったわけだ。

そのステフィ・グラフとの間に、男の子と女の子を持つ2児の父でもある。 同年代のライバルたちがほとんど現役引退した後も、孤高として頑張れる姿は、人間としての強さが感じられて好きだ。 無駄な力を抜いているが、絶妙なタイミングでボールの芯を捉えているらしい高速ストレートを、飄々と放つ現在のプレースタイルには、テニスという競技を知り尽くした神々しさがある。

*** プロフィール ***
居住地 アメリカ ラスベガス
誕生日 1970年 4月29日
出生地 アメリカ ラスベガス
身長 180センチ
体重 80キロキロ

全豪オープン:4勝(1995年、2000年、2001年、2003年)
全仏オープン:1勝(1999年) [この優勝で4大大会完全制覇を達成]
ウィンブルドン:1勝(1992年)
全米オープン:2勝(1994年、1999年)
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by Hhisamoto | 2006-07-02 09:48 | ■おやじスポーツ