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映画 『チームアメリカ』と、『暴かれた9.11疑惑の真相』 

e0028123_22241011.jpgとにかくとんでもない映画! あまりに不快感をあたえるものだから、ということで放送禁止になる国も続出したというシロモノ。 エロ、グロのオンパレード! まさに、最低で、とんでもない映画。 だけど、突き出てしまっていて、珍しいものを見せてもらったという感触と、なんとなく憎めないところが残る。 いったいどんな奴らが作ったんだろう、という感じ。 映画の類別をするために、左右上下に数直線を引いても、どこにも分布しない映画。
つまり、おもしろいなぁ~こういうの!

ストーリーはあってないようなもの。 国際警察のチームアメリカ5人が、世界の平和を守るため、エッフェル塔を倒しながら戦うところから始まり、悪の親玉・北朝鮮のキム・ジョンイルに立ち向かっていく。 ハリウッドはアメリカの広告等だと思っていたけど、自らを自虐的に笑いのネタにしながら、47億円もかけてこんなものを作ってしまう。 アメリカはなんでもありなんだなァとつくづく思ってしまう。


e0028123_2232158.jpgなんでもありのアメリカといえば、こんな本を人から借りて読んだ。 2001年9.11に起きた同時多発テロは民間人3,000人に達する死者を出す大惨事となった。 しかし、このテロは仕組まれたものであり、アメリカの陰謀であるとする説をまとめた本だ。

真珠湾攻撃はアメリカが仕組んだ罠だった、という説がある。 9.11も同様に仕組まれたアメリカの陰謀であり、国力高揚のために適宜使われている手段だという見方だ。 (ほんとかな~?)

激突した4機のうち、世界貿易センタービルに激突した2機の航空機はともに炎上。 高熱のため焼失し、残骸は何も残っていないと伝えられている。 しかし、専門家は「機体がすべて焼失することもありえないし、シリアル番号をふって厳格に管理している膨大な部分のうち、一つも見つからないなんてことがあるわけがない」と語る。 どんな墜落炎上事故でも、エンジンなど重要な部分は焼失せずに残っているものだという。 また、そんな状況でありながらなぜか実行犯のパスポートだけは判読可能な状態でみつかった、というのもおかしい、と語られている。

シカゴのある大学教授は、「これほどの事件を起こすには、巨大な闇の組織がないと不可能。 それも最低でも200人ほどのトップレベルの人材がいないとこれほどの計画は成り立たない。 普通なら途中で計画は頓挫する」と説いている。 このような内容が証拠写真などと共に満載されている。

『真相究明国際会議』なるものも、日本を含め、世界各地で開かれているという。 学識者によるフォーラムの開催や文献・資料の公表も相次ぎ、世界各国に賛同者がいるらしい。 彼らの標的は、作り物の七面鳥を大皿にのせて、災害復旧にあたるニューヨークを、慰問と称して闊歩していたジョージ・ブッシュであり、アメリカの権威主義らしい。
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by Hhisamoto | 2006-11-28 01:58 | ■えせ文化人(本、映画・・)

古奈屋のカレーうどん

長いも、さといもの皮をむいて、4~5mmほどのスライスにして、油で揚げる。 薄力粉で衣をつけてもいいが、油がよごれるので、単純にたっぷりめの油でキツネ色に揚げて塩をふる。 これが子どもたちに、すこぶる評判がいい。 凝ったレシピやひねりは必要ない。 子どもたちは素材の美味しさを素直に味わう。 大人のような意識をせずに、自然の美味しさを喜んでくれる。 子どもから教わることは多い。
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e0028123_23392062.jpg仕事で日本橋に行った時、コレド日本橋にカレーうどんの店があることを知った。 メニューは、カレーうどんとスープカレーに大きく分かれていて、さらにそれぞれのメニューがある。 グリル野菜のカレーうどん、えび天カレーうどん。 スープカレーには、黒豚ロースカツのスープカレー(ライス付)などだ。 私は、いわゆる普通のカレーうどんをたのんで食べた。

知れば、この古奈屋は、巣鴨本店をはじめ、カレッタ汐留店、ランドマークプラザ店、六本木ヒルズ店、玉川高島屋店、丸の内オアゾ店、このコレド日本橋店など、軒並み高級な地所への出店を遂げている。 紙エプロンを掛けて、私が食べた普通のカレーうどんは1,050円だった。 工夫が施されている味でとても美味しかったが、きれいに装飾された店内で、地代を食べている感覚が消えなかった。

カレーうどんやカレーライスは、どんなに凝ったとしてもB級グルメでいいのではないだろうか。 純白のテーブルクロスの上でワインを合わせて食べることを目指す必要がないように思える。 狭いカウンター席で、隣のお客さんと肩寄せ合って、かき込むように食うカレーライスで十分な満足感が得れるはずだ。 質実で美味しければいい、美味しければ! 
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by Hhisamoto | 2006-11-25 21:25 | ■B級グルメ

らせん状に進化する味覚の世界

e0028123_2316371.jpg今日、キッチンスタジオ・ペイズリーで教わったレシピは、さといもカレー。 さといもを5~7mmにスライスして、たっぷりの油で表面がキツネ色になるまで炒める。 これをカレーペーストとからめるのだが、さといもの香ばしい美味しさと合間って、なかなかいい!

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いとこのパティシエに、「昔に食べたあのアイスクリームは美味しかったよな」とか、「あのころのチーズケーキは抜群に美味しかった」などと、思い出を語る未練がましいおじさん口調で話しかけた時の彼の返事が忘れられない。 「たべものの味や人間の味覚というものは、らせん状に進化している。 だから、その時のレシピが残っていて、それを忠実に再現したとしても、僕らはそれを今、同じように最高においしいと感じるかというと、それは違う。」と言う。

その時、最高の味であったとしたら、それを再現するためには、その時と同じ労苦を施さなければならない。 つまり、いま美味しいと感じる味を研究して、試行錯誤を繰り返さなければ同じ感動は味わえない、というのだ。 また、らせん状にという意味は、例えば「甘さひかえめ」が今のトレンドだとしても、またいつか「甘みたっぷり」が再びトレンドになるかもしれない。 ただし、同じ甘みたっぷりでも、以前の甘みとは違った要素が必ず加わっていて、同じことに思えても微妙に進化していることを「らせん状に」という言葉で表現していた。

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最近、気に入っている読み物の一つに、購読している日経新聞の付録「THE NIKKEI MAGAZINE」 という大きめな冊子がある。 その中に毎月、食材を扱ったコーナーがあるが、前回は八ヶ岳の原村の野菜畑を紹介していて、今回は 「赤峰勝人 世界一シンプルな田畑 - 大地を食らう」 と称して、大分県臼杵市の山あい農家が紹介されている。

この方は、最初から無農薬の信仰者であったわけではなく、思うような野菜ができないことに悩んでいたときに、畑に生えた雑草のスギナが枯れた場所にだけ立派なニンジンができていることに目をとめた。 そして、スギナが作物作りに欠かせないカルシウムを供給していることを発見する。 このことをきっかけに、土に必要なミネラル分などは雑草が供給し、虫や菌が媒介して循環する作物の摂理を掴むに至った。 この赤峰さんの農場では、毎年同じ畑に同じ作物を作らない「輪作」を守り、作物に必要なミネラルが畑の土に貯まるのを待っているそうだ。

誌面で紹介されているコマツナ、カブ、サトイモ、ニンジン、ダイコン、タマネギ、ミズナ、ナタマメ、ナスなど、どれを見ても付けたような色がなく、どんな味がするのか食してみたくなる。 この農場の野菜は、農協を通さず、全国の約300世帯へ宅配便で送られているという。

来年は、長野方面で土あそびができるところを探したい。
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by Hhisamoto | 2006-11-22 23:15 | ■B級グルメ

三軒茶屋 『銀座アスター』

祖母の17回忌の法要があった。

e0028123_0194196.jpge0028123_0195846.jpgお寺での供養の後、法要の宴席が三軒茶屋 『銀座アスター』で行われた。
店のマネージャーは、アワビやフカヒレなどをうんちくと共に出してくれた。 今や日本のあわびは最高品質で、大きいものは十万円するものもあるそうだ。 ふかひれの種類は250種にもおよび、好みによって選ばれるものだそうだ。

その昔、祖父はヒサモト洋菓子店を創業し、祖母はそれを支えた。
二人の伯父が、祖父にまで及ぶその当時の話しをいくつも聞かせてくれた。

当時の大物政治家に取り入るため、その政治家が犬を購入したことを知った時、犬小屋をリヤカーに載せて屋敷まで運んだこと。 何事にも努力を惜しまない人だったが、日本洋菓子協会の会長になった時の苦労はあったようで、その頃はしきりに「一番上に立つな。二番目で居なさい。」と教えられたという。 また、祖父が祖母と結婚する際には、祖母の親戚からの意見は、必ずしも賛成ばかりではなかったこと。 その理由は、事業の夢を大きく語ることへの不安だったことなど、どの話しも孫の私には興味深いものばかりだった。

祖母についての逸話は、さすがに暖かいものが多かった。
クルマを買って得意になっていた伯父が、「無駄使いするな」と祖母に怒られた。 そして、所帯を持つことになった伯父が、今度は(当時高価だったため)小さい冷蔵庫を購入することを相談に行くと、祖母は先のことを考えて大きな冷蔵庫を買うようにと戒めたという。

祖父・祖母の代、父・母の代があり、そして私の世代がある。
宴席では、すでに食事に飽きた私の子どもや、いとこの子どもたちが走りまわって遊んでいる。 こんな様子を見ると、『人の繋がり』ということをつくづく考えさせられる。 私は子どもたちの世代に何を伝えることができるのだろうか。 とりあえず私はみんなが繋がって生きていることを伝えたい。

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大相撲九州場所8日目、かど番大関・魁皇が、出島に土俵際まで追い込まれながらも、逆転で下して8戦全勝で折り返した。 地元福岡の応援は半端なものではない。 何度も引退を考えていた魁皇が、「もう一度だけ頑張ってみよう」とその応援に支えられて、ここまできている。 それは、単純に応援という言葉で表わしきれない深い支えだと思う。 あんなに体の大きな猛者が、周りの人々から心を支えてもらって、やっと土俵に上るのだと思うと、相撲の技とか力を超えた人の心の繋がりを感じて熱くなる。 
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by Hhisamoto | 2006-11-19 19:06 | ■B級グルメ

神戸三宮 『いっとっ亭』

私は子どもを叱ることがある。 時にかなり強く叱る。 
母親の叱る頻度に比べれば、私の叱る機会はほとんどないと言えるほどに少ないので、叱る時はきっちりと妥協なく伝えたいと思ってしまうのだろう。 娘なので手こそ上げないが、大声で怒鳴ることがある。

こういった叱るという行為は、子どもに抑止の臨界点を植えつける行為に他ならないのかなあ、と思うことがある。 いい意味でも、悪い意味でもだ。 いい意味で捉えれば、どこまでが社会的に、あるいは人間関係の上で許される範囲なのか、という常識の形成に結びつき、また、危険な領域に対しては、警戒心をもって臨む知恵となってくれればと思う。

マイナス面もあると思う。 本人がもっと高く跳べるはずだ、もっと早く走れるのではないか、と無意識のうちに高みにチャレンジできるはずだったものを、『意識をさせる』というブレーキを与えているのではないか。 親の常識的な線というものを植え付けてしまい、その近辺に近づいた時、なぜかブレーキを踏んで、スピードを落としてしまうとしたら、それも考えものだ。

子どもとの接し方は、考えはじめると限がない。 
そんなことを思いながら神戸・三宮駅を降りて、フラワーロードからアーケードのあるセンター街を探していると、目的の『いっとっ亭』が見つかった。

e0028123_015418.jpg雑誌によれば、三宮『いっとっ亭』のメニューはビーフカレー¥650のみ。 これに全力を注ぐ潔さが見えるという力強い紹介文があった。 奇をてらうことなく、ベーシックなカレーそのものがおいしくて、広く愛される味を持っていなければ、この一品勝負というものはできない。 だから、私はとても興味を引かれる。 出張でこの神戸に降り立つことがあったら、ぜひ食べてみたかった。

店内はカウンターのみ11席。 白い土壁がきれいで清潔感ある内装。 カウンターには、酢漬けのニンジン、キュウリと、らっきょ、福神漬けが、自由に食べられるように置かれている。 15種のスパイスを駆使したカレーは一刀さんという方が17年かけてたどり着いた味とのこと。 ビーフのバラ肉がしっかり活きていて美味しかった。
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by Hhisamoto | 2006-11-18 22:28 | ■B級グルメ

東野圭吾 『手紙』

e0028123_2141586.jpg出張先の神戸から東京へ帰る新幹線の中、窓際にニッカウイスキーの小瓶とヴィッテルの500mlペットボトルを置いて、いっきに読みきってしまった。

貧しさと、はずみから強盗殺人を犯した兄の贖罪を、共に背負うことになった弟・直貴。 事件当時、高校3年生だった直貴が、進学、就職、人間関係、職場、結婚と、ことごとく付きまとう影の重さに苦闘しながら生きていく様子が前半に描かれている。 

だが、この小説では、苦悶の描写だけにとどまらず、深いメッセージを投げかける人物が登場してくる。 私が感じた感動的な展開は、直貴が再就職してからの第四章にある。 大手家電量販店で働く直貴に社長の平野が言葉をかける。

「人には繋がりがある。 愛だったり、友情だったり。 それを無断で断ち切ることなど誰もしてはならない。 だから殺人は絶対にしてはならないのだ。 そういう意味では自殺もまた悪なんだ。自殺とは自分を殺すことなんだ。 たとえ自分がそれでいいと思っても、周りの者もそれを望んでいるとは限らない。 君のお兄さんはいわば自殺をしたようなものだよ。 社会的な死を選んだわけだ。 しかしそれによって残された君がどんなに苦しむかを考えなかった。 衝動的では済まされない。 君が今受けている苦難もひっくるめて、君のお兄さんが犯した罪の刑なんだ」

大抵の人間は、犯罪からは遠いところに身を置いておきたいものだ。 自己防衛として、差別は当然なんだよ、と厳しい現実を真摯に説明する平野社長。 

題名の「手紙」とは、刑務所にいる兄・剛志から届く手紙のことだけを指しているわけではない。 人と人の心を繋ぐ糸として存在させている。 例えば、この平野社長は、自分のもとに届いた直貴をかばう友からの手紙に胸を打たれたと告げる。 その手紙には、直樹が今までどれほど苦労してきたか、今もまたどんなに悩んでいるか、そうして人間的にいかに素晴らしいものを持っているかが切々と語られ、そのうえで、どうか君を助けてやってほしいと頼みが綴られていた。 社長は、この手紙の主と君は心が繋がっている、という。 これからも、さらに2本3本と根気よく他の人間との繋がりの糸を増やしていくしかない、と説く。

直貴は結婚し、子どもを育てる身になり、更なる厳しい現実に直面する。 そして、生きるためのはっきりとした取捨選択をしていく。 この辺のくだりは迫力を感じる。 東野圭吾作品は、昔の赤川次郎のような学生向きの軽い読み物が多い、と聞いていたが、この「手紙」を読むかぎり、少し様子が違うと思えた。 仲間とバンド活動をしたり、恋人に関する話しの展開など、小説として色のついた表現もあるが、そうでもしなければ重すぎるテーマかもしれないと思えた。 映画にもなっているが、どのくらい表現できているか観てみたい気もする。 主演の山田孝之は若いけれど味のある俳優なので、賢い直貴役のイメージを演じきれると思う。
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by Hhisamoto | 2006-11-17 21:15 | ■えせ文化人(本、映画・・)

ザルツブルグ・チョコレート 「モーツアルトクーゲル」

e0028123_2148917.jpg嫁さんの母がヨーロッパ旅行をした際、チョコレートのお土産を買ってきてくれた。

なにげなく口に入れたが、その深みある美味しさにうれしくなった。
最近の日本のチョコレートのように甘みを抑えてはいない。 しかし、いくら甘くても、さらに欲しくなる甘さだ。 真ん中に入っているのはナッツとヌガークリームの練り物だと思われるが、外側のチョコレートと絶妙なバランスをだしている。

添付されている説明書によれば、このモーツアルトクーゲルは1890年に考え出されたもので、1905年にはパリの出品会で金メダルを獲得して、ヨーロッパでメジャーな商品になったらしい。

その後、おそらくこのスタイルのチョコレートが真似され、いろいろなメーカーから売り出されたのだろう。 説明書には、「これこそが正真正銘のオリジナル・ザルツブルグ・モーツアルトクーゲルである」と、あえてうたわれている。 今でも手作りだそうだ。

ヨーロッパ旅行する人がいたら、ぜひこの「モーツアルトクーゲル」をお土産にお願いしたい。
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by Hhisamoto | 2006-11-05 21:40 | ■B級グルメ

『憲法九条を世界遺産に』 太田光・中沢新一 著

e0028123_20432346.jpg「赤信号、みんなで渡ればこわくない」と言ったのはビートたけしだったが、「憲法九条を世界遺産に」と言ったのは爆笑問題の太田光だ。

■笑えて、かつ、考えさせられるメッセージ性を持ち、しかもその含蓄をごく短い言葉で表現している。 表現力というのは、こういうことを言うのだろうと納得してしまう。

その太田光自身も、「表現したい内容をテレビで、ああでもない、こうでもない、とワァワァ言葉で言っても、SMAPがメロディに乗せて歌う発信力にはかなわない」と言っているところが興味深い。 やっぱり ”メッセージとは伝わってなんぼ” なのだ!


■多摩美大教授の中沢新一氏との対談形式をまとめた本だが、意味深い論理も展開されている。 例えば、太田光の番組の中で、日本が軍隊を持つべきかどうかで、議論になったとき、あるゲストが「目の前で彼女が強姦されても、黙って見ていられるのか」との比喩を使った問いに対して、明確に答えている。

憲法は、あくまで国のConstitutionであり、個人的な問題には違った論理が動いていい、と二人は言い切る。 国家が動くレベルと市民社会が動くレベルと、個人が動くレベルは、違っていなければいけない。 それぞれのレベルで規律や倫理が機能して働いている。 そういうものが寄り集まって、大きな一つの集合体になったのが国家だと言う。

そうだとすると、人間は常に相当なエネルギーを使って自己主張と行動を繰り返して、バランスを維持していかなければならない、と私は解釈した。 


■中沢教授は、『憲法九条を世界遺産に』というメッセージを支持する理由を語っている。 
芸術と政治が合体したときに生まれた最大の失敗が、ナチズムだと言う。 ところが、日本国憲法は、ナチズムとは逆行してきた。 現実には存在し得ないことを語ろうとしている点が、芸術に近いものであり、それを日本は政治の原理にしようとしてきた、と言う。

ヨーロッパで失敗した政治と芸術の合体を、同じ敗戦国である日本が、その価値を成立させようとしてきた。 たしかに今の日本では、その芸術的な部分は疲弊してきたが、この奇跡的なシステムを、リサイクルして再活用するために、『憲法九条を世界遺産に』は最適なスローガンだと述べられている。

世界遺産にするということは、将来、憲法九条に手が加わることが避けられない趨勢なのだろうか? だとしたら、私も憲法九条のココロを何らかの形で残してほしいと思う。
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by Hhisamoto | 2006-11-05 18:15 | ■えせ文化人(本、映画・・)