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『アメリカ下層教育現場』 林壮一著

e0028123_22162598.jpg前半は著者が体当たりで「チャーター・ハイスクール」の代理教員を受け持つ体験談が書かれている。 後半は教育の現場にやり残した想いの著者が「ユース・メンタリング」という制度でボランティアを実践した体験が書かれている。

私は、この後半の「ユース・メンターリング」という制度の話しに大きな救いを感じた。 このような制度こそが社会の荒廃を防ぐ仕組みと成りえると言っていいと思うし、このような仕組みを考案し、それを百年前から実施してきたアメリカという国の英知を感じた。 日本で多くの情報が入手できるアメリカのことであっても、この「ユース・メンターリング」のように、まだまだ知らないことが多くあると痛感させられた。

税金を免除されるボランタリー法人が「Big Brother & Big Sister」と称して、親でも教師でもない第三者が、週に1回、何らかの問題を抱える子供と1対1の時間を共有する。 ボランティアが「歳の離れた1人の友人」として、子供と向き合うという。 すでに現在では、全米50州、そして35の国々で「ユース・メンターリング」は行われているそうだ。 親がドラッグに溺れ、家庭が崩壊し、放っておくと犯罪者になりかねない子供たちを Little Brother もしくは Little Sister と称してそっと接するのだ。

Big Brother や Big Sister としてボランティアする人は、「あなたがどんな人物なのか」を語ることのできる3人の身内以外の人の紹介が必要とされるなど、厳選される仕組みも確立されている。 そして、希望されて提携した学校の生徒と1対1で向き合うことになる。 

また、ボランティアする人がそのために受けるインストラクターによるレクチャーが興味深い。 例えば、状況に応じて20種類の誉め方を使い分けろ、という指示があるそうだ。

・素敵だね
・素晴らしい考えだ
・いい仕事をしたね
・素晴らしいよ
・キミは覚えるのが早いねぇ
・キミがその事を出来るって、こちらは分かっているよ
・トライし続ければ、必ずやり遂げられるさ
・まさに、その通りだね
・ずば抜けているね
・上手く進んでるじゃないか
・キミがどうやって、それをやったのか僕にも見せてくれるかな
・それこそが、進むべき道だね
・完璧だ
・最高だ
・どんどん良くなってるじゃないか
・僕はキミの言っている事がよく分かるよ
・キミの言葉、きちんと理解できたよ
・立派だ
・僕はキミを誇りに思うよ
・お見事

日本人は他者を誉めることが苦手だが、アメリカ人は己が認めた事柄や人間に対して賛美を惜しまない。同様に、徹底して誉めてやる気を引き出し、自信を与え、向上させていくという。
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by Hhisamoto | 2011-08-24 21:58 | ■えせ文化人(本、映画・・)

『1967クロスカウンター』 菅淳一

e0028123_14102252.jpgこの本のオビには安部譲二さんが「ここまで闘うボクサーの内面を鋭く抉った本を俺は読んだことがない。」と書いているが、まさにその通りだと思う。 私も多くのボクシング関連の著述を読んでいるが、ボクサーを描いた多くの本とは似て非なるものを感じさせられた。

昭和40年代の最も日本のボクシングが盛んだった時代の大スターであり、世界チャンピオンの小林弘さんの半生を描いたノンフィクション。 小林弘さんは今も武蔵境の小林ボクシングジムの会長としてご健在だ。 私は3~4年前に一度、後輩の誘いで小林ボクシングジムを訪れ、サンドバックを叩かせてもらったことがある。お会いした時の印象は、失礼ながら威圧感はなく「気さくで明るいオジさん」というイメージであり、緊張感をもって訪れた私としては少々拍子抜けした記憶さえ残っている。

団塊の世代より若い私の年代では、この偉大な世界チャンピオン小林弘さんはテレビでも見ていなかったため、私にとっては伝説的な方だ。この時代のボクサーが月に何試合もこなした話しを聞いたことがあったが、まさしく9年間で75戦を闘った歴戦のボクサーだ。その試合の中には、当時レベルの高かった日本の名選手の多くが含まれており、最後の花道は石のこぶしロベルト・デュランとの試合で締めくくられている。

中でも沼田義明さんとの世界タイトルマッチの様子は目に浮かぶように書かれている。その沼田義明さんと小林弘さんが、ボクシングに対する同種の卓越した技能を持ち、共に人間性に富んだ人物であり、同じように常軌を逸した会長の支配のもとに時代を生きてきた様が書かれている。多少ボクシングのことを知っている人間であれば、このあたりの記述には心を奪われると思う。

さらに著者の菅淳一氏の視線には興味深い点が多い。
例えば、石原慎太郎氏のボクシングに対する考え方に対して異を唱えるくだりは、この人のボクシング観をよく表している。

石原慎太郎氏は「ボクシングは様式ではなく意志だ。行為者としての勇気ある意志がすべてを決定する。我々がリングの上に求めるものは、技術でもなければ勝敗でもない、第一に、勇気がある雄々しい独りきりの人間の意志の見事さである」と書いていたことに対して、「ボクシングは様式である。その華麗な技術を見て、選手同士が駆け引きに興ずる妙味を堪能する様式美なのである。そこの楽しみは、表面ごとでは分からない。技術をつかみ取った選手の、陰の見えない努力に賞賛を送ることでもある。・・と著者の菅淳一氏は明確に言っている。
どちらの見識も正しいとか間違っているといったことではなく真摯で熱い。

この本のタイトル『1967クロスカウンター』は、小林弘さんが1967年メキシコで右クロスカウンターをマスターして喜びに心が満ちた時のことを形而している。
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by Hhisamoto | 2011-08-15 14:09 | ■えせ文化人(本、映画・・)

「神様のリング」 林壮一

e0028123_19344810.jpg私が金子ジムに所属してサンドバックを叩いていた時代、1980年代のプロボクシングは国内外を問わず名選手が多くいて、迫力のある試合が多かった。

タイトルに手が届かなかった選手であっても名選手といえるボクサーが多くいた。 協栄ジムの亀田昭雄もその一人だった。 当時の協栄ジムは、具志堅が9戦目でWBA世界ジュニアフライ級王者をもぎ取ったように、素質と若さのあるボクサーにすばやくタイトル戦の機会を与え、その勢いでチャンピオンになってからさらに強くする、という速効性のあるマッチメーク手法で臨んでいた。

そんな時代にあっても亀田昭雄は少し異質なイメージのある協栄ジムの名ボクサーだった。 天才とも呼ばれていた。 練習嫌いでくわえたばこでシャドーボクシングをしているイメージがあった。 その亀田昭雄が、WBA世界ジュニアウェルター級第1位となり、あの世界最強ボクサー・アーロンプライヤーと米オハイオ州シンシナティで世界タイトルマッチを戦ったのが1982年。

当時のアーロンプライヤーは野獣のように荒っぽく、とてつもなく強かった。 そのラフなボクシングスタイルからウェルター級王者のレナードも彼の挑戦を避けた。 アントニオ・セルバンテスという鉄壁の王者からタイトルをうばい、後にニカラグアの英雄アレクシス・アルゲリヨと2度戦い、完璧な勝利をおさめている。 アーロンプライヤーは誰にも止められない、という印象のあるボクサーだった。

アーロンプライヤーと亀田昭雄のタイトルマッチはテレビで見ていた。
アウェイでも臆した様子のない亀田昭雄が1Rからその野獣に真正面から挑み、お手本のようなきれいなワンツーをくらわした。 完璧に決まった左ストレートでアーロンプライヤーがもんどりうってリングにころがった。 まった信じられないものを見た気持だった。 しかし、その一発は野獣を完全に眠りから起こしてしまった。 立ちあがったアーロンプライヤーの反撃はすざましいものがあり、しばらくはしのいでいたが、亀田昭雄は6RでTKOされた。 負けはしたが、最強王者にも通用する、まさにキラリと光る最高レベルのパンチを見せた価値のある試合だった。

その王者アーロンプライヤーについても、この本は深く掘り下げて書いている。
イノシシのようなラフファイターと言われるアーロンプライヤーだが、アマチュアで220戦を戦っており、基本が徹底的に身についていてのラフファイトだから、攻撃もディフェンスにも幅がある。 テクニックがパワーに隠れていて、素人にはタフで勢いだけの選手とも見える。 そんな損な一面はボクシングスタイルだけでなく、人生そのものであることがこの本には書かれている。

それもそのはず、著者の林壮一さんという方は、この本以外にも 『マイノリティーの拳』やアメリカの下層教育現場について著述しているノンフィクションライターだ。 社会のヒエラルキーの下層のエネルギーとボクサーの人生を結び付けて語るのは、心の奥にとげ刺すことだが、的を得ているとも言える。

さらに、アレクシス・アルゲリヨの死についても、林壮一さんはどう見ているのか、もっと掘り下げて話しを聞いてみたいと思った。
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by Hhisamoto | 2011-08-07 00:27 | ■えせ文化人(本、映画・・)

『さよならドビュッシー』 中山七里

e0028123_18333739.jpgミステリー小説を軽く見ていた私は、この小説のエンターテイメントとしての質の高さに驚いた。
作者は考えている。 読者の想像の上を行くために。
作者は工夫している。 読者の期待の上を行くために。

たとえば闘うピアニストの姿が描かれているこのくだりなど、想像もしていなかった迫力がある。

「指に障害があるからピアノを満足に弾けない? 好奇の目に晒されるから声を上げるのが嫌だ? やっぱりあたしは最低の卑怯者だ。そんなのは闘いを避けるための口実に過ぎない。」 「全ての闘いは詰まるところ自分との闘いだ。そして逃げることを覚えると余計に闘うのが怖くなる。情けなさに手先が冷えた。恥ずかしさに胸が灼けた。」

・・この小説が、第8回「このミステリーがすごい!」 の大賞受賞作だ。
私はミステリーにも人間味を十分に表現した内容の濃さがあることを感じた。
そして、まもなく中学生になる自分の子どもにも読ませてみたくなった。

「空席が目立とうと満席であろうと君が心掛けなきゃならないのは、その音を誰に向かって飛ばすかだ。 審査員のお歴々は二、三列目に陣取っている。 君の指に注視し、奏でる音に神経を集中させている。 しかし君は彼らではなく、一番後ろの席に座る人に向けて弾くんだ。 いいかい、試験を受けに来たんじゃない。 君は、君のピアノを聴くために遠くから足を運んで、それでも最後列になってしまった人に自分の想いを伝えるため、ここに立つ - そういう風に思うんだ」
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by Hhisamoto | 2011-08-03 20:31 | ■えせ文化人(本、映画・・)

『疾走』 重松清

e0028123_23135820.jpg重松清の著書は少なからず読んできた。 それらには、人の心の奥に必ず潜んでいる人間としての「いじめ」の原石であったり。思春期の若者が不条理を乗り越える甘酸っぱい想いであったり。歳を重ねてもなお余りある情熱であったりと、ある程度の共通したテーマが存在していた。 そして、それらの小説の最後にはハッピーエンドでなくても、何かしらの「救い」があった。 ところが、この『疾走』にはその「救い」がない。

主人公の少年シュウジがたどる運命を描いているが、ひとことで言ってしまえば「崩壊」の運命が書かれており、重たすぎる。 この類の小説で記憶にあるものは山田宗樹の『嫌われ松子の一生』だ。 この小説もまた川尻松子の階段を降りていくような数奇な生涯が描かれていて、負の感情移入ができてしまうので、自分の気持ちが弱い時期には読みたくない本だった。 

 「現代の黙示録」などの書評もあるが、壊れていく人間の姿を克明に描く著者の重松清さんは何を訴えたかったのだろうか、と考えさせられてしまう。 文中後半に「・・君はつながっていたい人間・・」という言葉が出てくるが、心のつながりなしには人間は生きていくことができない動物であると再認識することをテーマとした小説だ、と勝手に解釈した。

登場人物の一人である「神父」が、あたかも神さまのように「おまえは・・」と、全編を天から見ているかのように俯瞰的に語る文体が冷やかな距離感を感じさせるが、妙に記憶に残った。
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by Hhisamoto | 2011-08-01 23:13 | ■えせ文化人(本、映画・・)