6月はボクシングの試合に縁があり、後楽園ホールに二度足を運んだ。 一回は金子ボクシングジムの興業。 もう一回は先輩である村田英次郎さんが会長を務める大阪のエディタウンゼントジムの興業だ。
大阪にあるエディタウンゼントジムからすると、地元大阪を離れた東京での興業は、チケットは売りにくいし、応援合戦でも歩が悪くなるので何かとやりづらいはずだが、それでも試合を受けるに値するものがあったのだろう。 そしてこの試合は、東洋太平洋チャンピオンの小松則幸(エディタウンゼント)と、日本チャンピオンの内藤大助(宮田)がそれぞれのタイトルを賭けて戦い、勝者が2本のベルトを腰に巻く、というプロレスのようなイベントタイトルマッチだった。 結果は、日本チャンピオンの内藤が6回TKO勝ちで、エディタウンゼントジムの小松を破った。 応援していた我々小松サイドは、納得するしかない明確な結果と悔しさの入り混じった想いを抱きながら後楽園ホールを後にした。 エディさんは、私がアメリカで仕事をしていた1988年に他界された。 当時アメリカでは、日本のテレビ番組を日本で録画してアメリカに送り、それを在米日本人向けにレンタルする店があった。 私がエディさんの死を知ったのは、そこでレンタルされていたNHKの特集番組だった。 がんに侵されたエディさんが、世界チャンピオンになる井岡を見送りながら息をひきとる苛烈なドキュメンタリーだった。 レンタルショップのオーナーに頼み込んで譲ってもらったビデオテープは今も私の手許にある。 私の幸運は1980年前後の隆盛期だった金子ジムの一員としてエディさんと接する機会を得たことだと思っている。 資格を得てからもプロのリングで戦わず、アマボクサーで現役を終えた私に、ジムはセコンドライセンスを渡してくれた。 そしてトレーナーとして過ごす間に、私はエディさんから明確な教えを受けた思いがある。 例えばそれは、技術的なことではなくとてもベーシックなことだった。 他人からみれば取るに足らないことだったが、私にしてみれば勇気を出した言動に対してエディさんは瞬時に私の心の中に入ってきて「それでいいのよ。それが大切よ!」と言って真剣なまなざしを向けてくれた。 それは、私の発言の内容に関してではなく、私が思い切って一歩踏み込んだことに対してであることがよくわかった。「私のことなどは、エディさんの目に入っていないだろう」と思っていた時だった。 エディさんとは心に目を持つそんな人だった。
by Hhisamoto
| 2006-07-07 23:07
| ■おやじスポーツ
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プロフィール
住み家: 東京都国分寺市
生まれ: 1959年 しし座 大切にしている言葉: 「吾、唯足るを知る」 探しているモノ: おいしいカレーライス 求めているモノ: ホンモノ、魂のある言葉 以前の記事
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